ここは、南国を夢想したレストラン。ご近所さんと音楽好きが肩肘張らず集う、バレアリック飲食店
- 取材・文:飯嶋藍子
- 写真:沼田学
- 編集:山元翔一(CINRA)
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東急世田谷線ののどかな住宅街。宮の坂駅を降り、山下(豪徳寺)方面へ歩くと間もなく現れるのが、「バレアリック飲食店」だ。日常づかいの食堂として宮の坂〜山下エリアの人々に親しまれるだけでなく、「バレアリックサウンド」という音楽スタイルに由来した店名から、ミュージシャンや音楽好きが集う。
編集者の三木邦洋さんもそんな店名に吸い寄せられた一人。世田谷線沿いに突然南国の風が吹くような不思議なスポット、バレアリック飲食店とはどのような場所なのだろうか。バレアリック飲食店オーナーの國本快さんと三木さんに語ってもらった。

ここは「南国を夢想したレストラン」
――三木さんが初めてバレアリック飲食店を訪れたきかっけを教えてください。
オープンしてすぐの頃に、知人の音楽通の方が「バレアリック飲食店ってお店ができたから行ったほうがいいぞ」と情報をくれて取材で来たのが最初です。 当時は「バレアリック」という単語がいま以上にフレッシュで。ちょっと物好きな人が改めてこの言葉を使い出したなかで、さっそくそれを冠した場所ができたことに単純に興味が湧きました。
三木

バレアリックは、もともと1980年代に地中海のイビサ島で生まれたジャンルレスに音楽をかけるDJスタイルを指す言葉で。ちょっと南国っぽい雰囲気とかチルアウトとか、サンセットやサンライズみたいな情景が浮かぶ音楽、気持ちよく高揚できるものとか……厳密な定 義はなくてニュアンスでしか話せないようなものなんです。
國本


よく店のことを「南国を夢想したレストラン」と説明するのですが、妄想したり架空の土地をイメージしながら、メニューもジャンルレスに好きなようにつくっています。その正解のなさがおもしろいんじゃないかなって。
國本

僕は梅ヶ丘出身なのですが、地元にこんなに開放的で南国のような雰囲気のお店ができたのがめちゃくちゃ新鮮だったんですよ。
三木

開店当時、このあたりはあまりお店がなかった からね。「飲食店」ってつけたのも、カフェっぽくしても食堂っぽくしてもいいし、やりながら決めていけると思ったから。よく「飲食3年」と言うので、3年間まずは試行錯誤しながらお店のスタイルをつくりあげていこうと思っていました。
國本

音楽をきっかけに縁が縁を呼び、関係性も深まっていく
「バレアリック」という音楽好きの心をくすぐる言葉を店名に掲げるだけあって、バレアリック飲食店と音楽の関係は深い。週末にはお店とゆかりのあるDJや音楽関係者たちが集まり、BGMをセレクトする——バレアリック飲食店には、音楽を中心とした人と人の縁が無数に絡み合っている。
――お二人の関係はどんなふうに始まったのでしょうか?
オープンして1年後くらいに、いろんな人にお店のBGM係をやってもらう「Laid Back Ground Music」という企画をスタートしたんです。三木くんには当初から参加してもらっています。
國本

僕が取材をきっかけにお店に行くようになったのと時を同じくして、僕とは別に加藤くんという友人もここに通い始めたんです。彼はのちに音楽ライターになるのですが、当時はただの音楽好きで。
三木

加藤くんは少年のような出たちで、最初は一人でポツンとお店にやってきて、もじもじしながら「音楽が好きで」と話してくれたんです。それで「音楽が好きならDJとかやってみれば?」って誘ったのが始まりでした。
國本


それで僕も加藤くんに声をかけてもらってBGM係をやることになりました。ここでDJをやると、それぞれの人が「バレアリック」という余白が多い言葉を独自に解釈して選曲するので、すごくおもしろいんですよね。
三木

三木くんは、かっこいいし、好青年なんだけど、選ぶ曲を聴いていると中身は変態でマニア度が高いよね(笑)。
國本

――(笑)。三木さんから見て國本さんってどんな人ですか?
「優しいお兄さん」っていう空気感にほっとさせられています。僕が呼んだDJが次はオーガナイザーとしてバレアリック飲食店でイベントをやることもあるのですが、それって(國本)快さんと話していると何かやりたくなるからだと思うんですよ。そう思わせる懐の深さがある。
三木



でも、快さん自身DJをやっていた経験もあるし、飲食一本でやってこられているので、「半端は許さんぞ」みたいな厳しさも奥底に感じますね。
三木

え、ウソ!?
國本

いい意味で、ですよ!(笑) 厳しいというとか、物事をつぶさに見る眼差しを持っていらっしゃると思います。ハードコアな部分があるのも感じるし、それが店のメニューにも出ているんじゃないかなって。 全部のメニューにきっと元ネタがあるんでしょうけど、バレアリック飲食店独自の解釈が入っているというか。タイ料理でもメキシカンでもないし、ひねりがきいた味つけで、どうやってこんなメニューを思いつくんだろう? って思います。
三木


日常に溶け込みながらも、「ここではないどこか」に誘うメニューの数々
さまざまな飲食店で働いてきた國本さんが独立し、バレアリック飲食店を開店したのは34歳のとき。
「パイナップル炒飯」や「ココナッツイエローカレー」、自家製のTACOミートが自慢の「多幸ライス」をはじめ、趣向を凝らしたバリエーション豊かなメニューの数々は、近所の人たちからも評判。老若男女問わず、そしてときには、愛犬を連れて訪れるお客さんたちで日々賑わっている。
ドリンクメニューも豊富で、常連の老夫婦は「ピニャ・コラーダ」を注文し、「これを飲むとハワイを思いだすんだよね」と、しばし思い出に耽るという。


――三木さんがよく注文するメニューは何ですか?
メニューがすごくたくさんあるので毎回冒険したくて頼むものがバラバラなんです。でも、カオソーイは鉄板で頼みますね。ガチのカオソーイは重くなりがちだけど、バレアリック飲食店のカオソーイは甘味があって食べやすい。ドリンクは、パクチーとレモンでモヒートのような香りを楽しめるパクチーサワーが好きですね。
三木

僕自身、良心的な値段でいろんなメニューがあって何を食べてもおいしくて、日常的に使えるお店がほしかったんですよね。だから、自分が行きたいお店をつくっているような感覚です。提供している食事はジャンルもバラバラだし、全部おすすめのつもりなので、好きなものを食べてもらえたらなって思います。
國本




バレアリック飲食店という名前だからって、イビサ島の雰囲気を再現して、メニューもイビサ島で食べられているものです、みたいな感じじゃなくて。「バレアリック」のニュアンス、イメージから抽出した「架空の土地の文化」がつくられているような気がします。意味を厳密に固定させないことで、この雰囲気が生まれているんじゃないかなと思います。
三木

――お客さんも音楽好きが多いのですか?
いまは近所の方が来てくださることが多いです。音楽はあくまで自分の好きなものを散りばめ ただけのただの遊びというか。 近所の方たちは「バレアリック」の意味なんてわからず食べに来てくれていると思うし、地域に根づけばいいなって。でも、最初はこの言葉に反応してくれた人たちが来て、音楽的なところからお客さんが広がっていったので、そこはお店として大事にしているところでもあります。
國本



週末にDJを入れるスタイルを始めてからは、DJをお願いした人に他の出演者も募ってもらって、BGM係経由で新たな音楽好きとつながっています。飲食店をやっていると営業時間的にクラブやライブハウスなど音楽の現場から遠ざかってしまうんですよね。だから、BGM係は僕にとって唯一音楽的な社交ができる機会でもあります
國本

DJをやっている側からしても毎回新しい縁が生まれているように感じます。あと、ごはんを食べに行くとカウンターにミュージシャンの方が座っていてすごいなって思うこともあって。 このエリアってミュージシャンや音楽好きはたくさん住んでいるのに、あまり音楽スポットがなかったんですよ。そういう方々が意識的に集まるサロンのような場所も繁華街にはあると思うんですけど、ここはもうちょっと肩肘張らずに「近所だから」みたいなノリでみんなが来て、でも、自然とカルチャーに造詣の深い人や音楽をやっている人が集まっている。そういう感じがすごく心地いいなって思います。
三木



世田谷線と異国風情あふれる料理——バレアリック飲食店だけに流れる「日常」の時間
「気分は世田谷アイランド。」——お店のキャッチコピーそのままに開放的な佇まいのバレアリック飲食店。お店周辺には高層ビルがないおかげもあって、ランチどきには柔らかな陽が差し込み、世田谷線がゴトゴトと心地よい音を立てて行き交うのを間近に感じることができる。
――そもそも、なぜ宮の坂でお店を開こうと思ったのですか?
世田谷の真ん中なのに田舎っぽさが感じられる世田谷線沿線が好きだったんです。あと、僕自身、豪徳寺や梅ヶ丘、松陰神社前など、ここらへんばかりに住んでいて。 ここを開く前に店長をやらせてもらっていた松陰神社前のカフェ「STUDY」(2022年閉店)でつながった縁もありましたし、よく知っているエリアでやろうと思ってここに決めました。でも、いまみたいに賑わっていたら宮の坂ではやっていなかったかも(笑)。
國本


僕は基本的にひねくれ人間なので、ニッチなところを攻めたくて。当時は周りから「宮の坂で飲食店なんて絶対やめたほうがいいよ」って言われたんですけど、そう言われたら余計にやる気が出ちゃって「じゃあここで成功したらすごいってことじゃん!」って思い始めたんですよね。
國本

そうだったんですね(笑)。
三木

あと、いいお店がポツンとあるという佇まいにも憧れていたんです。お店さえ強ければ逆にポツンとある感じがかっこいいと思って、それを目指して頑張ろうと思いました。
國本


――お店を営業するなかで気づかれた宮の坂の魅力はありますか?
ここのあたりはいい塩梅のローカル感があるし、素敵な大人たちやファミリーが多いエリアだと思います。最近は豪徳寺の招き猫を観に来た外国人観光客の方々の利用もすごく多くて。そういった方々が来るのは想像していなかったのですが、客層がバラバラでいろんな人がミックスされている感じになっているのはとても嬉しいです。
國本

――三木さんは宮の坂周辺にどんな魅力を感じますか?
豪徳寺駅周辺はだいぶ賑やかになりましたが、宮の坂まで来るとすごくのんびりとした気分になりますよね。世田谷八幡という個人的にも思い入れのあるパワースポットがあるおかげか、独特な時間の流れ方がしているエリアだと思います。バレアリック飲食店は店内から世田谷線を眺められるのも魅力だと思うんですよね。
三木



都心なのにゆっくり時間が流れているというか、情報量が少ない感じがありますよね。今日の撮影をしてくれている沼田くんもそうだけど、みんな子どもを連れてごはんを食べに来てくれるんです。こういう情報量の少ないところを日常にしたいなって僕は思っています。そういう場所が落ち着くと思ってくれる人が集まっているから、ちょっとした共感が生まれるんですよね。
國本

他の沿線だったら、電車をゆっくり眺めながら、でも静かに過ごせる感じってあんまりないと思うんですよね。音楽好きでなくても、なんとなくBGMがいいなとか、何が置いてあるんだろうって店内を見渡すだけで、バレアリックの世界に入っていくきっかけになると思います。
三木

生活に寄り添う親しみやすい食堂でありながら、南風のそよぐ異世界にゆるやかにつながるように佇むバレアリック飲食店。
國本さんがつくりあげる架空の土地のおいしいごはんを食べにきたら、そこに流れる音楽にも耳を澄ませてみてほしい。波打ち際のように、優しく寄せては返す日常と非日常のまじわりがここで体験できるはずだ。

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