慶應生にとって“勝利の味”。日吉「和栗」で、柔道部員が極上とんかつを食らう
- 取材・文:中島晴矢
- 写真:加藤史人
- 編集:中島晴矢、川谷恭平(CINRA)
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慶應生に「ひようら」と呼ばれる日吉駅西口には、いくつもの商店街が張り巡らされている。そのうちの1つ「普通部通り」に面しているのが「とんかつ和栗」だ。40年前から定食屋さんとして店を開き、10年前にとんかつ専門店へとシフト。日吉の地で長きにわたり、体育会の学生を中心に親しまれてきた。
今回そんな「和栗」を訪問するのは、慶應大学2年生で、柔道部員の山田陸斗さんと入道隼人さん。慶應のなかでも特に歴史が長いという柔道部。筋骨隆々の彼らは一体どんな練習をして、どんな飯を食らっているのか。
慶應運動部を熱心に応援する店主の和栗義美さんを迎え、分厚い豚肉を頬張りながら、日吉で培われてきたとんかつ屋さんと慶應生の熱い絆を紐解いていこう。
柔道部の先輩から後輩へと受け継がれる「おいしい伝統」
——入道さんは中学から、山田さんは高校から慶應に進学した内部生とのことですが、初めて和栗に来店したのはいつでしたか?
僕らが高校1年生のときに、柔道部の3年生の先輩に「絶品のとんかつを食べに行こう」と連れてきてもらったのが最初ですね。
山田
僕も同じです。父が慶應OBなので、中学生のころから日吉には足を運んでいましたが、和栗に来たのは高1のときが初めて。こんなにおいしいとんかつがあるんだと感動しました。
入道
いやぁ、そんなふうに言ってもらえるなんて本当に嬉しいね。
和栗
——やっぱり先輩に連れてきてもらうことが多いんですか?
同級生と来るよりも、先輩と来てご馳走してもらうことがほとんどですね(笑)。
山田
でも、僕らも後輩と来ることが増えてきました。4月には「こんなにおいしいとんかつ屋さんがあるんだぞ」と、新入生を連れて何度も通いましたし、夏休みなんかは午前中が練習で、お昼はいつも「ひようら」で食べるから、「和栗に連れてってくださいよ」って言われます。
入道
——体育会系の縦のつながり、いいですねぇ。柔道部の人たちはお店で見かけますか?
よく見ますよ。上級生はとくに礼儀正しくて、いい子たちばかりでね。あとよく来るのが、外国人のコーチの方かな。関西弁でペラペラ喋るから、満席のなかでもひときわ目立つ(笑)。
和栗
フランス人コーチのピエール・フラマン先生ですね(笑)。
入道
そうそう。私も日吉で長く商売をやってるので、昔から体育会系の学生は多く見てきました。
和栗
——和栗はもともと定食屋さんだったんですよね。
ウチは日吉でちょうど40年前に「キッチンくりの木」という定食屋を始めて、10年前にとんかつ屋へシフトしました。 定食屋のころは、柔道部にご飯をいくらでもサービスしてましたよ。いまは米の値上がりもあってそうはいかないけどね。とんかつの値段を考えても、学生さんだとなかなか来られないでしょう。
和栗
そうですね、ちょっと贅沢なイメージはあります。初めて来たとき、3200円するリブロースかつの値段に驚きました。
山田
僕にとって、和栗は量を食べるというより食を楽しむお店。特に練習後に食べるとんかつは絶品ですね。どのメニューも「定食」か「カレー」を選べるんですが、練習後だと腕 や指がプルプルと震えた状態だから、皆お箸ではなくスプーンでいけるカレーを選びがちなんです(笑)。
入道
——そんなにハードな練習なんですね!
高校生のころは、乱取り(お互いが技を掛け合う自由練習)をしてから腕立て100回、さらに手押し車ジャンプ、そのあとに天井から垂れる綱をよじ登ったりしてましたよ。
入道
よく綱からずり落ちそうになってね(笑)。高校の道場は当時エアコンがなくて、夏場はもう汗だくで……。一度の練習で体重が3キロ落ちることもあったんです。そんな過酷な練習からの和栗は、まさにオアシスでした。
山田
とんかつの名店から受け継ぐ技術。口のなかでとろける柔らかさは"蒸らし"にあり
いよいよメニューを注文する。入道さんは「特上ロースかつ定食」、山田さんは「カタロースかつカレー」をチョイス。
運ばれてきた料理はすごいボリュームだ。かつカレーの匂いもたまらない。お味噌汁が豚汁なのも泣けてくるじゃないか。さっそく腹ペコの2人がとんかつに食らいつく。
カタロースは初めて食べましたが、噛み応えがあっておいしいです!
山田
カタロースは文字通り豚の肩で、よく使われる筋肉なんですよ。ちょっと固いけど味わいがあるのがカタロースの魅力。好きな人はこればっかりですね。
和栗
カレーとの相性もバッチリです。OBや先輩にも、カレー派の人はかなり多い気がします。
山田
カレーのベースは豚ガラやキャベツの芯で取った出汁と、5時間ほど煮込んだ玉ねぎ。かつをカレーに浸さずに提供するので、最後まで衣のサクサク感を楽しめますよ。
和栗
ロースかつの「特上」は1年振りですが、こんなにおいしかったんだってあらためて感動しています。普通のロースよりさらに柔らかくて、お肉が溶けちゃいそうな感じです。
入道
揚げ方にもこだわりがあります。豚肉が分厚いから、中身に完全に火が通るまで揚げてしまうと、衣がパリパリに固くなってしまう。だから早めに油から上げて、少し蒸らすんです。そうすることで奥まで熱が入り、肉質がグッと柔らかくなる。一応、これは企業秘密だけどね(笑)。
和栗
——和栗のとんかつのルーツは何かあるのでしょうか?
僕のとんかつの師匠は、蒲田にある名店「とんかつ檍(あおき)」のご主人で、その味と技術を引き継いでいます。東京や横浜で10軒以上の店舗を展開する名店の味を、ここ和栗で堪能していただけるのが自慢です。 肉は「林SPF」というブランド豚。無菌状態で育てられ、健康であると証明を受けた希少な豚です。やっぱり林のお肉は柔らかくて旨味が強い。 かつにはソースはもちろん、塩も合う。テーブルにはアンデス紅塩、ロレーヌ岩塩、パキスタン岩塩と、3種類の岩塩を用意してます。どれもおいしいので、お客さんが自分の舌で味わって、ぜひ好みの塩を見つけてほしいですね。
和栗
日本最古の部活動がつなぐ縁と、慶應を応援し続ける店主の情熱
広々とした店内を見渡すと、野球やサッカー、バスケットボールのポスターが飾られ、野球選手のサインや写真が目に飛び込んでくる。
とくに目を引くのは、元プロ野球選手である須藤豊さんのサインだ。彼は慶應卒ではないが、日吉に長く住み続け、和栗さんとは長い付き合いがあるという。
そんなスポーツ好きの和栗さんにとって、体育会の慶應生との縁は大切なものだという。
2023年に慶應高校が甲子園を制覇したのは嬉しかったですよ。あのときはテレビなどのメディアから取材をたくさん受けましたね。 僕は甲子園にも応援に行きましたし、水泳部やサッカー部の試合も観戦しています。この前なんて、サッカー部の練習場の周りで「頑張れー!」と旗を振って応援してたら、関係者の方に「すいません、やめてください」と止められちゃったくらい(笑)。 柔道部の試合はまだ見たことないから、今度応援に行かなくちゃね。
和栗
ありがとうございます。ぜひ早慶戦を見に来てほしいですね。
山田
毎年11月ごろに開催される「早慶対抗柔道戦」は、大学の威信をかけた総力戦。20人制の勝ち抜きで、体重差の関係ない無差別級です。すごく盛り上がります。
入道
観客席から全力で応援しますよ。
和栗
——ちなみにほかの運動部と比べて、柔道部ならではの特徴はありますか?
それで言うと、慶應の柔道部は日本最古の部活なんです。
山田
——ええ、最古なんですか!
創部は明治10年で、日本中の部活動で最も古いんです。福澤諭吉先生が最初につくった部活らしく、慶應でも部活ナンバーは1番になってます。
山田
この話は代々先輩やOBから語り継がれてますね。もともとあった柔術クラブに、柔道の要素を取り入れたそうです。
入道
毎年、寒稽古と暑中稽古を行なっていて、特に寒稽古は昔から続く伝統行事。代替わりをした1月には、慶應の柔道関係者全員が集まり、朝5時から稽古を始めるんです。この長い伝統は、慶應柔道部の全員の誇りですね。
山田
——柔道部の伝統がしっかり受け継がれているんですね。
特別感と安心感が同居する日吉。ずっと守りたくなる光景が広がる
気づけば2人ともとんかつをペロリと平らげていた。
お腹いっぱいの満足そうな表情に、和栗さんも嬉しそう。この食事も彼らの体をつくる血肉となるはずだ。早慶戦では大活躍してくれるに違いない。
そんな2人にとってのとんかつ和栗、そして和栗さんにとっての慶應とは、一体どんな存在なのか。日吉という街の魅力を含め、あらためて聞いてみた。
僕が和栗に抱いているのは特別感。試合に勝った日や、早慶戦で優勝したとき、まるでご褒美のように立ち寄りたくなるお店です。 たとえば夕方に試合が終わって、みんなで日吉に帰ってきて「ご飯どうしようか」となったときに、「今日は勝ったから和栗に行こうぜ」みたいな。逆に負けると来づらいから、勝利の味なのかも?
山田
いやぁ、僕は「いったん和栗に行っとくか」って、何かと理由をつけて来ちゃいますけどね(笑)。ホームに戻ってきたというか、和栗は安心して落ち着くことができる場所なので。
入道
本当にありがたいことですね。日吉で商売するうえで、慶應の存在は絶対的です。学生時代はもちろん、卒業してからOBが顔を出しに来てくれたりするのは、何よりの喜びですね。
和栗
——最後に、日吉という街に対してはどんな思いを持っていますか?
40年前はいま線路があるところに駅の改札がありました。そのころから考えると、電車の乗り入れだって増えたし、駅もしっかり整備されて、ずっと便利になりましたよ。
和栗
僕にとって、日吉はホームタウンですね。1週間の合宿から戻ってくると、「帰ってきたぞー!」と叫びたくなるくらい(笑)。2024年の合宿明けも、皆で和栗に行きましたから。日吉には、大学や高校が多いので、街全体で学生を 受け入れてくれる温かい雰囲気があります。
入道
日吉は学生から年配の方まで、さまざまな人が利用する駅ですよね。飲食店でも、いろんな世代の人たちが同じ空間でご飯を食べている光景をよく目にします。じつは僕、尊敬する先輩の影響でディベロッパーを志望しているのですが、そんな街の風景を守り続けたいですね。 最近は飲食店が増えたり減ったりしてますよね。僕が以前バイトしていたラーメン屋さんも閉店してしまって。だからこそ土地に根づくようなお店が増えてくれたら、日吉はさらに輝く街になるんじゃないかと思います。
山田
普通部通りの商店街でも、昔は夏祭りくらいしかなかったけど、いまはいろんなイベントを開催しています。ウチも積極的に参加して、日吉をもっともっと盛り上げていきた いですね。
和栗
日吉にはスポーツを通じて育まれた縁がある。日々鍛錬を重ねる体育会の慶應生と、その姿にエールを送るエネルギッシュなとんかつ屋さん。この幸福な関係が、どこか街を活気づけているように思える。
店から店へ、人から人へと歴史が受け継がれる街は豊かだ。老舗の飲食店も伝統ある部活動も、そこにあるだけで空気が凛と澄む感じがする。日吉にはまだそんな光景があふれているからこそ、いまある雰囲気を守りたいと語る山田さんの言葉がとても頼もしく聞こえた。
皆さんもぜひ日吉まで足を運び、こだわり抜かれた和栗のとんかつを堪能してほしい。定食もカレーも間違いなし。ボリューム満点の分厚いかつに食らいつけば、体の奥からパワーがみなぎってくるはずだ。
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