慶應生が「ただいま」と言いたくなる洋食屋「とらひげ」。自宅で再現不可能な“生姜焼き”を味わう
- 取材・文:中島晴矢
- 写真:大西陽
- 編集:中島晴矢、川谷恭平(CINRA)
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東横線や目黒線が乗り入れる日吉駅。駅東口には言わずと知れた名門・慶應大学のキャンパスが広がる。一方の西口は、放射線状に商店が軒を連ねる繁華街だ。その一角に佇むのが、老舗洋食屋「とらひげ」。この地で60年以上にわたって営業を続け、食べ盛りの慶應生たちの胃袋を満たしてきた。
今回は慶應OBの山下容平さんが、在学中テニスサークルの仲間と足繁く通ったという「とらひげ」を久しぶりに訪問。日吉の街で脈々と紡がれてきた慶應生と洋食屋の交流は、一体どのような縁を育んできたのだろうか。
店主の和田花美さんを交え、変わらぬ定食の味に舌鼓を打ちながら、お店にまつわる思い出を語り合ってもらった。
「日吉で定食といえばとらひげ」。慶應生に代々受け継がれる老舗洋食屋
——まず、山下さんが初めてとらひげに来店したきっかけを教えてください。
2017年に慶應大学に入学して、サークルの新歓が一段落したころ、所属したテニスサークルの内部生(付属高校から大学に進学した生徒)に連れてきてもらいました。 日吉キャンパスに通う慶應生であれば、誰もが一度は来たことがあるんじゃないかな。僕も在学中にはよく通いました。「日吉で定食を食べるならとらひげ」というのは、大学で広く浸透していましたから。
山下
——とらひげに来るのはいつぶりになりますか?
卒業後に一度来て以来なので、今日は久しぶりにとらひげの料理を食べられるのが楽しみなんです。お店の雰囲気もまったく変わってい ませんね。
山下
お店は全然変わってないでしょう。ところで私、山下さんのこと覚えてるわよ。話したことはなかったけど、お顔がハンサムだから印象に残っているの(笑)。 慶應の皆さんは、とらひげのことを語り継いでくれているみたいです。大学生はもちろん、高校生も試験期間や部活動のあとに食べにきてくれますし、卒業してから店に寄ってくれる子も多いですね。
和田
——そもそも、とらひげの成り立ちは?
もともと私の祖父が駅前で肉 屋をやっていて。それを母体に、父が日吉で飲食のお店を広げていったんです。その一号店が、1962年にオープンしたとらひげ。ずっと叔父が店長でしたが、20年ほど前に私が引き継いで、洋食の要素を取り入れました。
和田
もしかして、日吉に「とら」がつく店が多いのって……。
山下
そう。「とらの息子」や「立ち呑み 寅さん」は、暖簾分けした姉妹店。いまはみんな独立してるけど、もとは同じグループだったんですよ。
和田
それは知りませんでした。昔から慶應とのつながりは深かったんですか?
山下
創業当初は、慶應生だった石原裕次郎さんや竹内まりやさんが来店されていたと聞いています。学校にお弁当を出前したり、運動部の合宿で賄い飯を依頼されたりすることも度々あったそうです。 あとは当時の日吉で、学生たちの娯楽といえば麻雀やビリヤード。そういう場にもとんかつ弁当を出前してたみたい。こんないきさつで、慶應の学生さんとは切っても切れないご縁が生まれてきたんだと思います。
和田
サークル仲間と親睦を深める日替わりランチ。「来日」して食べにくる学生も
とらひげのアットホームな雰囲気のなかで、すぐに打ち解けた和田さんと山下さん。店内には様々なメニューのポップが貼られている。ポークソテー、チキンカツ、ハンバーグ……なんとも食欲をそそるラインナップだ。店内は広く、カウンター席に加えテーブル席が並ぶ。部活動やサークルの帰りだろうか、慶應生らしきお客さんもちらほら。
——とらひげにはテニスサークルのメンバーと来てたんですか?
そうですね。午前中に近場のテニスコートで練習して、午後の授業が始まる前に寄ることが多かったです。お腹いっぱいになるから、午後は眠気と闘いながら授業を受けて(笑)。 日吉キャンパスに通うのは、基本的に1、2年生です。ただ僕は、取り逃がした単位を取るために、3年生になってからもちょこちょこ「来日」していました。あ、慶應では日吉に来ることを「来日」と言うんですよ。
山下
その表現、面白いわよね(笑)。
和田
単位という「忘れ物」を取りに「来日」してたわけです (笑)。そんなときにも、よく後輩を連れてとらひげに来ましたね。 日吉ではカウンターの飲食店が目立つなか、まさに食卓を囲むといいますか、仲間と話しながら楽しいひとときを過ごすことができました。いつも頼んでいたのは日替わりランチ。生姜焼き、カレー、揚げ物など、バリエーションがすごく豊富なんですよ。
山下
それは嬉しいわね。とらひげのモットーは「毎日食べに来ても飽きないお店」ですから。スタミナ系のメニューばかりでなく、魚料理を一品でも混ぜたりして、お客さまには飽きずに満足してもらいたいという気持ちが私たちの根本にあります。 それに、何人かのグループで食事をする店を決めようとすると、「私はカレー」「僕はとんかつ」といった感じで、意見が割れますよね。それで「とらひげに行けばなにかしら食べたいものはある」と考えて、ウチに来てくれる人が多いんじゃないかしら。
和田
たしかに日吉の飲食店は、ラーメン屋に代表されるように専門店がたくさんあるイメージですね。だからこそ「毎日お昼を食べるならどの店か」と聞かれたら、真っ先にとらひげが挙がると思いますよ。
山下
運動後に食べたくなる味。慶應ナインに伝わる「裏メニュー」も存在した
いよいよ食事を注文する。山下さんが悩んだ末に決めたのは、大好きだったという生姜焼き。定食の王道メニューだ。厨房でチーフの福永憲司さんが腕を振るう。すぐ運ばれてきたのは、ご飯とお味噌汁のついた生姜焼き定食。香ばしいタレの匂いがたまらない。さっそく山下さんは「おいしい!」と料理を頬張る。
懐かしい味! 自分の家では再現できない、ちょっと濃いめの味つけがたまりません。運動をしているような、食べ盛りの学生に合わせた味に してくれてるんだろうなと思っていました。
山下
そうね。どこの定食屋にもある定番のメニューだけど、タレは手づくりで、肉はバラを使ってるの。甘じょっぱくてやわらかいから、若い人には余計に食べやすいのかも。
和田
学生時代は実家住まいでしたが、一人暮らしをしてみると、お味噌汁のありがたみが身に染みます。一汁三菜を用意するのがいかに大変か、ようやくわかりましたよ。ご飯も2杯までおかわり無料のままですね。
山下
おかわりがセルフサービスなのは、私たちが大変だから(笑)。延々とキッチンと席の往復をすることになるんですもの。野球部の子たちなんて、本当によく食べるんですよ。
和田
——慶應の野球部といえば、2023年の慶應義塾高校による甲子園優勝が記憶に新しいですが、とらひげは大学の野球部との関わりもあるそうですね。
そうなんです。10年ほど前に、慶應のニューヨーク校(慶應義塾ニューヨーク学院)から日吉の寮に編入してきた野球部の子がいて。いつも一人で来ていたので、ウチのチーフが「なにか食べたいものがあればつくってあげるよ」と声をかけたところ、「よくアメリカで食べていたチキンのチーズ焼きが食べたい」と言うので、出してあげたそうです。 それからしばらく「たっぷりチーズのチキン焼き」は、慶應の野球部員さんたちのなかで裏メニューになりました。
和田
メニューのリクエストを聞いてくれる街の定食屋さんって、最高ですね。
山下
いまはヤクルトスワローズでプロとして活躍してる木澤尚文選手も、ウチの牛肉ニラ丼が好きで、高校時代からずっと通ってくれていました。ドラフトにかかったときなんて、スタッフみんなで大喜びしてお祝いしましたよ。 私たちには強く残ってる思い出だから、彼のなかにもとらひげの味が残ってくれてるんじゃないかな。これも素敵な縁の一つですね。
和田
慶應生の「第二の実家」が守り続ける、日吉の街の古きよき温もり
慶應生をはじめとするお客さん一人ひとりと向き 合い、対話を続けてきたとらひげのスタッフたち。温かく居心地のいい空間は、そんな親密な交流の結晶なのだろう。まるで家族のような空気感で、実際に山下さんも、とらひげを「第二の実家」だと語る。
僕にとってとらひげは、いつも安心するご飯をおいしく食べさせてくれる、「第二の実家」みたいなお店です。店に帰ると、どこかホッとするんですよ。
山下
ありがたいわ。ちょうど私たちも、自然に「ただいま」と言いたくなるような雰囲気を大切にしてます。そこから会話が生まれるし、会話をすれば気分も変わって、息抜きになりますからね。 なによりスタッフたちの付き合いが長くて、それこそ家族のようなものです。その感覚がお客さんにも伝わっているんでしょうね。 とらひげという空間を残すために、毎日キツくても、まだまだ頑張らなくちゃと思いますよ。
和田
大変ですよね……お店を畳みたくなるようなときもあるんですか?
山下
そんなのしょっちゅうよ(笑)。 ただ、休み明けに学生さんたちの見知った顔を見ると、やっぱり元気になるんです。ほかにも卒業生が顔を出してくれたり、結婚して家族の写真を見せてくれたり、今日みたいに山下さんから思い出を伺ったりすると、胸がジーンと熱くなります。 こうして慶應生のみなさんに支えてもらっているうちは、やっぱり私もお店をやめるわけにはいきませんね。
和田
——最後に、日吉という街についてどんな印象を持っていますか?
一番のホームタウンですね。駅を出て東口が慶應、西口には商店街が扇形に広がっていて、出迎えてもらっているような気持ちになります。 日吉の街を歩いていると、学生のころの記憶がよみがえってくるんです。「この店に友達と来たな」とか「あの通りで他愛のない話をしたな」とか、いろんな光景が頭に浮かんでくる。 一人暮らしを始めるとき、真っ先に日吉で物件を探したくらい。結局、そればっかりは職場から遠くて諦めましたが、僕には日吉はそれだけ来たい、居たい、住みたい街ですね。
山下
私は生まれてこのかたずっと日吉なんです。昔と比べて東横線は便利になったし、駅も街もずっときれいになりました。これからも日吉はどんどん新しくなっていくんだと思います。 ただ私はどうしても、最近どの街も似通ってきていると感じるんです。そして旅行先で行きたくなるのは、やっぱりその街で長く続いてるようなお店なんですよね。また、自分がお年寄りになって街を散歩しているとき、「ああ、このお店 はまだあるんだな」とか、そういう感慨に浸りたいじゃないですか。 だから私の理想は、古いものと新しいものの共存。古い部分を残しつつ、新しい変化も受け入れる。そんな新旧の共存が実現する街になってくれたら嬉しいですね。
和田
学生街・日吉のなかで長年育まれてきた、洋食屋と慶應生の食を通じた縁。その親密な関係が、ひいては街全体の温かさに結びつく。そんなことがよく伝わってくるような時間だった。
記憶に残ったのは、和田さんの「居心地のいい店を彼らとつくり上げたい」という言葉。そう、飲食店の空間はお店側が一方的に提供するのではない。お店のスタッフとお客さんが支え合って一緒に「つくり上げる」ものだ。だからこそ「とらひげ」は日吉に根を張り続けることができたのだろう。
学生時代を過ごした街は誰にとっても特別である。読者の皆さんも思い出の街に出向き、ぜひ懐かしい料理を味わってほしい。もちろん、「来日」する際にはとらひげに寄ることをおすすめする。確実にお腹も心も満たされるはずだ。
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