日本酒初心者も、一夜にして愛好家に。年2,000種の試飲で銘柄を厳選、長原「shu」で広がる酒好きの輪
- 取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
- 写真:北原千恵美
- 編集:藤﨑竜介(CINRA)
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東急池上線の長原駅から歩いて1分ほどの場所に、日本酒好きを至福のひとときに誘う店がある。名前は、日本酒処「shu」(以下、shu)。一般的な居酒屋では飲めない希少な銘柄など20種超の酒を取りそろえ、訪れる人はそれらをちょっとずつ、お手ごろ価格で楽しめる。
縁線図鑑の「ご縁投稿」(*1)を通じてこの店を教えてくれたのは、大学生の岡﨑成美さん。一夜にしてその魅力にハマった結果、いまや学業のかたわらアルバイトとしてカウンターに立ち、全国各地の名酒を注ぐ日々を送る(*2)。
shuのすごいところは、岡﨑さんのような「日本酒に少しだけ興味があった人」を、日本酒愛好家に変えてしまうこと。最近通うようになった安達美有さんも、愛好家への階段を登り始めているという。
2人はなぜ、この店にハマったのか。岡﨑さん、安達さん、そしてオーナーの北山秀人さんの話を基に、長原で独特な存在感を放つshuの魅力を探った。
*1 縁線図鑑では、人と人の縁を生む魅力的な店の推薦を受け付けております。投稿はこちらから
*2 2025年11月時点
初めはランチで来店。日本酒に開眼し、深夜カラオケも一緒に楽しむコアな常連へ
――安達さんはshuの常連ということですが、やはり日本酒が好きで通い始めたのですか。
いえ、もともと、日本酒はそこまで飲んでいませんでした。銘柄や種類もよくわからないので、居酒屋に行っても適当に選んでいたくらいで。
安達


でも、この店だとオーナーの北山さんやスタッフの成美ちゃん(岡﨑さん)が好みや気分に合わせて絶妙なセレクトをしてくれて、どれもが本当に美味しい。あらためて、日本酒の魅力を教えてもらっています。
安達

ある夜、安達さんがしみじみ「日本酒って本当に美味しいですよね」と語っていたのが印象的だな〜。
北山

日本酒の世界にハマったのはここ2か月くらい。だから歴は浅くて。それまではこの店もランチでしか来たことがなかったけど、日本酒を好きになってから夜も通うようになりました。
安達

――最初はランチだったんですね。
はい。職場がこの店の近くなんです。それで、昼食をとる店を探していたら、たまたまここを見つけて。ランチ帯の飲食店でよくある慌ただしい雰囲気もなく、ゆっくり食事を楽しめたんですよね。 それから同僚も誘ったりして、週に何回かここでランチをするようになりました。同僚たちも気に入って、いつの間にか会社の食堂みたいな存在になっていますね(笑)。
安達

夜も来てくれるようになったのは、「酒好き交流会」がきっかけだよね。
北山


そうそう。月に1回、日本酒好きが集まる交流会をここでやっているんですけど、初めて参加したときに成美ちゃんと出会って。成美ちゃんは月曜と火曜の夜にアルバイ トで働いていて、北山さんから話だけは聞いていたんですよ。 実際に話してみたら、彼女は日本酒について本当によく知っていて、いろいろなことを教えてくれたんです。それから、夜も来るようになりました。成美ちゃんと話をするのも、目的の1つですね。
安達

私は私で、オーナーから美有さん(安達さん)のことを聞いていて、気になっていました。「最近、ランチによく来てくれる人がいる」って。あの会をきっかけに、一気に距離が縮まりましたよね。
岡﨑

shuはお酒も料理も魅力だけど、私にとってはやっぱり成美ちゃんや北山さんの存在が大きいですね。いつもくだらない話しかしないけど、それが楽しくて。
安達

この店はスタッフの1人の趣味で22時半以降カラオケバーになるんだけど、安達さんはたいていその時間までいてくれるよね。もう、コアな常連さんと言っていいんじゃないかな。
北山

たしかに、楽しく飲んでいていつの間にかカラオケタイムに突入していることが多いですね(笑)。
安達


初来店の翌日、バイトに応募。行動力がすごいshuの人気スタッフ
岡﨑さんも、もともと日本酒にそこまで関心を抱いてはいなかったという。たまたま客として訪れたshuで、北山さんがセレクトしたお酒に「日本酒の概念が変わる」ほど衝撃を受け、のめり込んでいった。
――岡﨑さんは、どんなきっかけでアルバイトとして働くことになったのですか。
池上線沿線に住んでいて、長原駅の近くで用事があったとき、たまたまこの店を見つけました。なんとなく気になったんですよね。後日あらためて友達何人かと訪れて、ゆっくり飲んだんです。
岡﨑


北山さんの説明を聞きながら飲む日本酒は、どれも美味しくて。特に最後にすすめてもらった福井の「舞美人」というお酒に、衝撃を受けました。あまりにも美味しくて、もっともっと日本酒のことを知りたいと思うようになりました。
岡﨑

舞美人は、ちょっと変わったお酒なんですよ。発酵のさせ方や利用する酵母が独特で、酸味が強い。酸っぱいお酒が好きだというからすすめたら、気に入ってくれたみたいで。
北山


「この店で働けるんですか?」なんて言ってくるから、「じゃあ、あとで履歴書を送ってよ」と。酔いの席の戯言だと思っていたんですけど、彼女は次の日に本当に連絡してきた(笑)。
北山

冗談を間に受けて、翌日に履歴書を送りました。それから月曜日と火曜日にアルバイトをさせてもらえることになって。働き始めてからは日本酒への熱量がさらに上がって、毎日が楽しいですね。
岡﨑

もう1年半以上働いてくれているけど、彼女の行動力には驚かされます。休みの日にはいろいろな店で日本酒を飲んでいるみたいだし、僕も行ったことがない酒蔵まで足を運んでいたりもする。
北山

旅行するときも、ルートを工夫してその地域の酒蔵に立ち寄れないかと考えたりします。特定の何かに、めり込んじゃうタイプなんですよね。
岡﨑

ある酒蔵を招いた試飲会で、いつの間にかその社員さんたちと仲良くなっていたこともあったよね。いろいろな意味で、おもしろい子です。常連さんにも、人気なんですよ。
北山

「マグロ昆布」などshuのオリジナル料理は、日本酒との相性抜群
オーナ ーの北山さんの願いは、より多くの人に日本酒の美味しさを知ってもらうこと。同時に3種類のお酒を提供するスタイルも、敷居が高いと思われがちな日本酒の世界の門戸を広げるためだ。
――北山さんは、日本酒の資格も持っているそうですね。
「日本酒学講師」という、日本酒の先生として活動できる資格です。それもあって、多くの人に日本酒を楽しんでほしい、本当の美味しさを知ってほしいという思いがありますね。 この店にあるお酒は、どちらかというとあまり知られていないものが多い。年間2,000種くらいテイスティングしたなかから、「これは!」という個性的なお酒を選んでいます。
北山

――提供の仕方にも、こだわりがあるとか。
そうですね。1合(180ミリリットル)1,100円(税込)が基本なんですけど、1種類ではなく、3種類のお酒を60ミリリットルずつ提供しています。できるだけいろいろな種類を味わってほしいというのもあるし、1種類ずつまとまった量を飲むと、それ以 外のお酒の味を忘れてしまうんですよね。
北山


3種類をちょっとずつ飲むと味が全然違うことがわかるし、「このつまみには、このお酒が合うな」と自分なりの発見があって、楽しい。だから、うちはずっとこのスタイルです。
北山

――この店に通うと、日本酒に詳しくなりそうですね。
そうだと思います。ただ、知識がついたからといって変に通ぶってほしくはないんですよね。あくまでお酒は楽しく味わうものだから。 その点、うちのお客さんはよくわかってくれています。酔って若い子に日本酒のうんちくを語り続ける、めんどうな人もいないしね。
北山

たしかに働いていても、嫌な思いをしたことはないですね。日本酒についてディープに話し込むこともあるけど、知識をひけらかすようなことはなくて、シンプルに楽しく盛り上がる感じです。
岡﨑

だから酒好き交流会みたいなイベントも、安心して開けるんです。これまで20回ほど開催しているけど、昔ながらの楽しい「飲みニケーションの場」になっていると思います。
北山


――食べ物は酒の肴から食事系まで、種類が豊富ですね。
酒の肴は、どれも少しだけ塩味が強めです。日本酒は甘味や酸味など基本的な味のうち塩味を備えていないので、食べ物で補うことでより美味しく味わえるんです。
北山


あとオーソドックスな料理でも、できるだけひと手間加えて、この店ならではのものにするようにしています。たとえばマグロのぶつ切りを昆布で和えて、「マグロ昆布」として出す。それだけで見栄えやお酒との相性がよくなるので、意識的にやっています。
北山


――安達さんは、どのメニューがお気に入りですか。
マグロ昆布や「ニシンの酢 漬け」が好きです。ランチだと「おばんざい定食」ですね。ご飯と味噌汁のほかに6種類くらいのおばんざいがついていて、すごく満足できるんですよ。夜もランチも、魚をしっかり食べられるのがうれしいところです。
安達

魚は川崎の市場で買いつけています。刺身にしたり塩焼きにしたり、1匹で買った場合はカマの部分を煮つけにしたりと、飽きさせないように調理のバリエーションは考えています。
北山


いい意味で東京っぽくない。長原の魅力
北山さんは、中学生時代から東急線沿線暮らし。現在はshu以外に学習塾、酒屋、美容室なども沿線内で運営し、このエリアとの縁は深い。長原駅の周りや池上線沿線に対しては、どんな思いを抱いているのだろうか。
――北山さんは、東急線沿線に長く住んでいるようですね。
はい。中学生のころから住んでいて、特に池上線は馴染み深いですね。3両編成の電車が、なんとも味わいがあっていいんですよ。
北山

――長原の印象はどうですか。
いい意味で東京っぽくない、ゆったりとした雰囲気がありますよね。地方から上京してきた人がこの沿線に来ると、典型的な東京のイメージとの違いに驚くと思います。その意味では、初めての東京暮らしは池上線あたりから慣らしていくのがいいのかもしれない(笑)。
北山


それでいて生活の利便性は高いし、近くには大きい病院も複数ある。バランスのいいエリアだと思います。あとは、住んでいる人が穏やかですね。この店がい い常連さんに恵まれているのは、長原の土地柄もあるんじゃないかな。
北山

――東京はどんどん変化していますが、池上線沿線はどうですか。
全体的な雰囲気は昔のままですね。少子化と言われるけど、このエリアで子どもが減っている印象はなく、高齢者だらけという感じもありません。
北山


もちろん、変わっていることもあります。僕が中学生だったころと大きく違うのは、マンションが急増したこと。住む場所としての魅力が増し、興味を抱く人も増えていると思います。 それによって、今後は沿線の雰囲気も違ったものになるかもしれない。いずれにせよ、新旧の住民がうまく交わって、素敵なコミュニティや文化が生まれるといいですよね。
北山


日本酒は知れば知るほどハマる、奥深いもの。ただ、それだけに「難しそう」と敬遠されがちだ。だからこそ、出会い方が大事だと北山さんは考えている。岡﨑さんや安達さんのように、いろいろなお酒を試して感動の1杯に出会い、そこから徐々に日本酒の美味しさや楽しさを知ってもらいたいと言う。
少しでも日本酒に興味を抱いている人は、shuを訪れてほしい。多様な酒と心地よいレクチャーが、新たな世界を開いてくれるはずだ。

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