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No.043

〇〇好きのご縁飯 〜ボクシング〜

世界チャンピオンも来店。 ボクシングと酒、熱い人情にあふれた、 荏原中延の大衆酒場

  • 取材・文:三宅正一
  • 写真:タイコウクニヨシ
  • 編集:山元翔一(CINRA)

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東急池上線の荏原中延駅から徒歩2分。飲み屋街「むつみ小路」と呼ばれる一角に、平日でも連日満席となる小さな居酒屋がある。

「忠さん劇場 くいしん坊」のオーナー・小口忠寬さんは、昼間はワタナベボクシングジムでトレーナーとして世界チャンピオンを育成し、夜は妻のアキナさんと営む酒場の大将として多種多様な常連客を迎え入れている。この酒場が愛される理由はどこにあるのだろうか。

「店主と常連」という関係を超えて友情を育む常連のDJ KONOさんを迎えて、ボクシングと酒、そして酒場の人情が織りなす荏原中延の物語を語ってもらった。

左から:常連のDJ KONOさん、「忠さん」の愛称で親しまれるオーナーの小口忠寬さん

話を盛りがちな大将、そのトリセツ役の常連さん

─まず、おふたりの出会いについて教えてください。

僕がここに来たきっかけは、内山高志さん(元WBA世界スーパーフェザー級王者)ですね。高志さんが地方で食材を買ってきて、ここで鍋パーティーをやったりしてて、「カニ鍋やりましょう」って誘われて来たのが最初でした。

DJ KONO

ここ数年の話かな。割と最近なんですけど、ケンタ(DJ KONOさんのこと)は来店頻度が他の常連とはちょっと違って、ほぼ毎日来てくれるんですよ。店が休みの日も一緒に飲みに行っちゃうくらいの関係です(笑)。

小口

─ケンタさんから見た小口さんはどんな人ですか?

小口さんは「飲み屋の大将」なので話を盛って盛り上げようとしてくれるんです。でもときどき、話を盛りすぎて嘘になってる。そんな人です(笑)。

DJ KONO

俺にしてみると嘘じゃないんだよ! ちょっと話が大きくなってるだけで、嘘は言わない。「盛るけど嘘はつかない」が俺のモットーだから(笑)。

小口

いや、盛りすぎて原型をとどめてないこともある(笑)。でも確かに、本当のところは小口さんは嘘がつけない人で。だからいつも僕ら客のことをイジったりしてきますが、すごく温かくて、ちゃんと相手のことを考えて話せる方だなと思うんですよね。

DJ KONO

小口さんには「取扱説明書」があって。今日もそうなると思いますが、とにかくどこまでも話が飛ぶ人で(笑)、適当なことを言うと話が10倍くらいに大きくなっちゃう。だから「これは言わないでね」ということは最初に伝えなきゃいけません。そう言われると絶対に約束を守ってくれるんですが、情報整理能力が低いというか(笑)。

DJ KONO

おい!

小口

世界で闘う「鬼軍曹」が、荏原中延で酒場を営むワケ

荏原中延という下町の一角で、小口さんは2つの顔を持つ。昼間はワタナベボクシングジムで「鬼軍曹」の異名を持ち世界トップクラスのボクサーを育てるトレーナー、夜は地元に愛される居酒屋の大将だ。

「忠さん劇場 くいしん坊」の店内に貼られているボクシング関連のポスター

─小口さんが荏原中延でお店を始めることになった経緯を教えてください。

もともとボクシングトレーナーだけやってたんだけど、トレーナーって世間の人が思ってるよりも給料が少ないんですよ。会長からも「トレーナーは副業ができなきゃいけない、これだけで飯を食ってもらう責任は持てない」って言われて。 そのときに内山高志が「小口さん、出資してやるから飲食店やりなよ」って言ってくれたんです。この物件は、ここからすぐそこにあるラーメン屋「井田商店」の店主が教えてくれて。

小口

厨房で「山賊焼き」を調理する小口さん

─お店の名物料理は何でしょうか?

俺の地元・長野県の名物「山賊焼き」、あと「馬刺し」がうちの看板料理ですね。山賊焼きって「焼き」って言うけど揚げ物だから、家で作ろうと思ったらかなり手間がかかるんで結構注文が入ります。

小口

馬刺しにはニンニクを巻いて食べるんですが、これが大将の故郷での食べ方で。

DJ KONO

地元ではニンニク醤油プラス辛味噌で食ってたんだけどね。こっちの人にはあんまり馴染みがないかもしれないから、今はニンニク醤油だけで出してます。俺はニンニクを「バクバク食う」の(笑)。

小口

「忠さん劇場 くいしん坊」を夫婦で切り盛りする小口さんの妻・アキナさん
「忠さん劇場 くいしん坊」の看板メニュー「馬刺し盛り」

この店主の特徴として、擬音がすごく多い(笑)。「テクテク歩く」「バクバク食う」「グーグー寝る」とか。

DJ KONO

これは地元の影響かもな。俺の周りの連中みんな、「ちょっと俺テクテク歩いて行くわ」とか言うよ(笑)。

小口

─お店を始めた当初はトレーナーとの両立は大変でしたか?

最初はきつかったですね。うちは17時からオープンなんですが、ジムに選手が来る時間に俺が店に行かなきゃいけない。それでトレーナーを変えた選手もいましたが、俺に見てほしいって選手は残ってくれました。ジムで面倒を見てる選手が、この店でバイトすることもあって。いまは弟子たちがここでバイトをすることを「修行」って言ってるんです(笑)。

小口

僕はこの店のバイトリーダーです(笑)。弟子たちをまとめてるのは僕で、たまにキャベツが足りなくなるとコンビニに買いに行ったりしてます。

DJ KONO

ケンタは近所のコンビニのオーナーとも仲良くなっちゃって、買い出しに行ってもなかなか帰ってこないんですよ(笑)。

小口

「忠さん劇場 くいしん坊」の看板メニュー「山賊焼き」
「忠さん劇場 くいしん坊」の定番メニュー「西成ホルモン」
お通しの「煮込み」をはじめ、新鮮なお刺身など、アキナさんの手がける料理がどれも絶品なところも「忠さん劇場 くいしん坊」の魅力

─トレーナーとしては「鬼軍曹」と呼ばれるほど厳しい一面もお持ちで、実績もすごいですよね。

練習は厳しいですよ。でも、いまの時代はコンプライアンスも厳しいからね。俺が習ってた先生たちは根性で鍛えてくれた昭和の指導だった。でも、それだけだとどうしても選手が育たない側面があるのもたしかで。 いまのトレーナーとしての夢は、谷口(将隆・元WBO世界ミニマム級王者)をもう一度チャンピオンにすることと、(細川)兼伸をチャンピオンにすることです。

小口

小口さんって「ザ・昭和の人」のように見えて、現代ボクシングのこともちゃんとわかって指導しているんです。だから選手からも愛されているし、男女問わず弟子入り志願も多い。選手のことを本当に大切に思っていて愛を持って接しているから、居酒屋にもお弟子さんがバイトに来たり飲みに来たりするんですよ。

DJ KONO

小口さんがトレーナーを務めるプロボクサーの藤原茜さん。編集部が取材のアポに訪れた際も、プライベートで来店していた

ボクシングが夫婦の絆をも「防衛」。人間くさい「ご縁」が集まるのには理由がある

「忠さん劇場」が多くの人に愛される理由は、小口さんの豪快さの裏にある繊細な気遣いと、お客さんが本音で語り合える環境づくりにある。年齢も職業も、あるいは政治的立場も異なる人々が集いながらも、居心地のいいお店となっている秘密はどこにあるのだろうか。

─お店にはどんなお客さんが来られるんですか?

うちは楽しくやってる店なので、酔っ払って雰囲気を悪くするような人には、「ごめんね、うち1軒目じゃないと入れないんだ」ってお断りすることもあります。

小口

小口さんの奥さんで、キッチンを切り盛りしているアキナさんがこれまでお客さんを見極めてきたんですよね。残ってる人たちは選ばれし常連。だから一線を越える人はいないですね。

DJ KONO

「忠さん劇場 くいしん坊」の常連たちが愛してやまない小口夫妻

昔の感覚だと、飲み場で政治、宗教の話はするなって言われてますけど、ここだと不思議とできるんです。 自分が嫌いな政党を支持してる人でも、なぜ支持してるかを聞いたら、「なるほど、そういうところがあるのね」ってなると思う。SNSでやると喧嘩になっちゃうけど、面と向かって話すとやっぱりいいですよね。

DJ KONO

人を知ると嫌いになるわけにいかないからね。やっぱり面と向かって話すのが大事だよ。

小口

小口夫妻、DJ KONOさん、常連のおふたりと記念撮影

─ケンタさんは常連として、どんな「ご縁」を感じていますか?

内山さんと小野伸二さん(元サッカー日本代表)を、ここで引き合わせたこともありました。2人とも同い年で、世界のトップを知ってる人間同士だから、きっとシンパシーを感じるんじゃないかなと思って。実際に波長が合ったらしく、いまでも交流が続いています。

DJ KONO

DJ KONOさんのXより。内山高志さん、小野伸二さんとの3ショット

─小口さんにとって、やはり奥様であるアキナさんの存在も大きいじゃないですか?

それはもう、大きいですよ。アキナとは何度も別れそうになったことがありました。一度、地元に帰っちゃって、俺が家に帰ったら鍵が置いてあって荷物も何もなかったこともありました。 でも皇治(※)が大阪で試合するときに、「アキナさんも来てよ」って招待してくれて。そこでアキナに半年ぶりくらいに会って、そのあとみんなで飲んで。たまたま皇治が歩いてきて「大将、アキナさんがかわいそすぎるやん」って言ってくれたおかげで、また一緒になれました。

小口

アキナさんはめちゃめちゃ謙虚な方で、最初は小口さん目当てで来てた人も、だんだんアキナさんのファンになっていくんです。小口さんがいない時間に来るようになる人もいるくらい。

DJ KONO

※大阪府池田市出身のキックボクサー。ISKA K-1ルール世界ライト級王者の実績があり、現在はRIZINで活躍

年齢も性別も国籍も関係なく、誰をも魅了する荏原中延であり続けるために

─お店は2016年7月開業で、2026年に10周年を迎えられるそうですが、この荏原中延という街の魅力はどんなところでしょうか?

この街の良さは「村」感ですね。「荏原中延村」って俺らは言うくらい。でも最近は開発が進んで、俺の好きな店がみんななくなっちゃって寂しいです。昔は駅の入り口までずっと飲み屋だったけど、いまは古い路地飲食街は縮小傾向にあります。

小口

でも飲食店同士の連携は、いまもありますよね。小口さんの店が満席のときは別の店に行って、空いたら戻ってくるみたいな。古き良き互助会的な雰囲気があります。

DJ KONO

やっぱり昔ながらの人情味のある、下町のいい人付き合いを残したいからね。若者が来ても「よかった」って思ってもらって、おっちゃんたちが来ても「いいじゃないか」って言ってもらえるような店がいいし、そういう街がいい。そこにたまに有名人もいて、みんなが仲良くなって「いやー、いい街だな」って思われたい。

小口

─10周年に向けて、今後のお店への思いを聞かせてください。

もう日本全国に、東京に来たらうちに寄ってくれる人がたくさんいるんです。アキナがずっとお店をやっていきたいって言ってるから、これからも続けていきますよ。誰もが本当に、年齢も性別も国籍も関係なく、仲良くできる、いい村にしていきたいですね。

小口

小さすぎず、大きすぎずがコミュニティの理想的な規模だと思うんです。顔見知りばっかりだけど、それぞれの考え方でみんなやってるから、お店ごとの色もあるし、それぞれのファンを大事にしつつ、そのファンが他の店にも流れていくような連鎖が生まれるといいですね。

DJ KONO

約2時間の取材を通じて、小口さんの豪快で人情味あふれる人柄と、DJ KONOさんとの温かい友情が印象的だった。

ボクシングと酒場という一見異なる世界を結びつけているのは、小口さんの「人を大切にする」という一貫した姿勢。荏原中延という下町の一角で、年齢も職業も立場も異なる人々が集い、本音で語り合える場所があることの貴重さを改めて感じさせられた。

2026年に10周年を迎える「忠さん劇場」が、これからもこの街の「縁」を紡ぎ続けていくはずだ。

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Information 取扱店舗情報

忠さん劇場 くいしん坊

住所:東京都品川区中延2-8-14

TEL:03-6426-2525

営業時間:平日17:30〜24:00(LO 23:30)、土日17:00〜24:00(LO 23:30)

定休日:毎週月曜日

アクセス:池上線・荏原中延駅から徒歩2分

店舗情報は2025年9月の取材時点のものとなります。

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