下町感ある石川台で、名古屋名物・味噌おでんに舌鼓。親戚のような交流が生まれる呑み処
- 取材・文:原里実
- 写真:北原千恵美
- 編集:藤﨑竜介(CINRA)
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戸越銀座や荏原中延など、にぎやかな商店街を擁する街がつらなり、下町情緒をかもし出す東急池上線沿線。石川台も例にもれず、ぬくもりのある個人店が立ち並ぶ。
名古屋で生まれ育った森下麻紀さんが営む居酒屋・森したは、その石川台駅から徒歩約2分、雪ヶ谷八幡神社の目の前にある。森下さんがつくる名古屋の名物料理、日替わりのおばんざい、そして美味しいお酒が揃った、カウンターのみのこぢんまりした店だ。
会社員だった森下さんが一念発起して、2024年12月にオープンしたこの店。すぐに常連客でにぎわうようになり、当初5つのみだった席は店舗改装で8つに増えた。
順調な理由を、森下さんは「温かいこの街のおかげ」と語る。そこにはどんなストーリーがあるのか。森下さんと、近所に住む常連の1人・山田ひかるさんへのインタビューからひも解く。
地元が東京から遠い人にとってうれしい、「親戚みたい」な交流
――山田さんは、どんなきっかけで森したに通うようになったのですか。
初めて来たのは、オープンしたばかりのころでした。通勤で毎日通る道なので、「新しいお店ができた」とすぐに気がついて。しかも、名古屋名物のお店。当時、私もこの街に越してきたばかりで、行きつけにできるような店を探していたので、勝手に「私のためにできた店だ!」と思っちゃいました(笑)。
山田

――山田さんも、森下さんと同じ名古屋出身ですか。
地元は、同じ愛知県内でも名古屋よりもっと南の自然豊かな地域です。ただ大学時代は、名古屋に通っていました。
山田

ひかるちゃんのように、愛知に縁のあるお客さまは多いですね。だから、「店内に愛知県人が8割以上になったら中日ドラゴンズの歌をかけていい」という変なルールもありますね(笑)。
森下

――ドラゴンズは愛知の人に、すごく愛されている印象があります。ところで山田さんは、店に対してどんな第一印象を抱きましたか。
初めての日は、1人で来ているお客さんがほかに何人かいて。麻紀さんを囲んで和気あいあいとした雰囲気だったので、自然と溶け込めたことを覚えています。ごはんとお酒が美味しいことはもちろん、とにかく会話が楽しい店だという印象は、最初もいまも変わらないですね。
山田


ひかるちゃんは人を和ませる力があって、いるだけで店の雰囲気をパッと明るくしてくれるんです。ほかのお客さまからも大人気で、アイドルのような存在ですね。
森下

ただただ、みなさんと話すのが楽しくて。そろそろ帰ろうかな、と思ったころにまた別の常連さんが来て、つい長居してしまうこともよくありますね(笑)。
山田

近所に住む常連さんは多くて、「飲みすぎても、這って帰れるから」とめいっぱい楽しんで帰っていきます(笑)。
森下


――この店で得た、新たな発見や出会いはありますか。
たくさんあります。たとえば、ウイスキー。もともと苦手意識があったのですが、ある常連さんに教えてもらって、お気に入りの銘柄が見つかったんです。ほかにも同じ業界で働く人と知り合って仕事の相談をさせてもらったり、90代の常連さんから聞く深い話に感銘を受けたり……。いろいろな人たちが集まる、この店だからこそかもしれませんね。
山田

年齢も職業も、本当にさまざまな人が来てくれますよね。みなさん、品のいい人ばかりです。
森下

みんなこの店で、温かな交流を求めているという共通点がある気がします。私にもまるで親戚みたいに、「久しぶり!」「元気だった?」などと声をかけてくれて。地元が遠いぶん、近くで見守ってくれる人がいることがうれしいです。
山田

煮込むほどに美味しく、色も濃くなる愛知名物「どて煮」「味噌おでん」
着物と茶道が趣味で、お酒も大好きだという森下さん。そんな自身の「好き」が詰まった店をいつか開きたい、という夢をかねてから抱いていたのだとか。数年前に母が他界したことをきっかけに一念発起して、開店に至った。
私は名古屋市のなかでも、名古屋城などがある中区で生まれ育ちました。家の台所には、豚モツを甘辛く煮込んだ「どて煮」という料理がいつもあって。だから、自分で店をやるときは絶対にどて煮を出そう、と決めていたんです。
森下

どて煮は、私もすごく好きです。関東の飲食店のメニューには、あまりないんですよね。だから初めて森したに来て食べたときにすごく懐かしくて、うれしかったです。
山田

つくり方はシンプルで、愛知県岡崎市の老舗メーカー・カクキューの八丁味噌をベースにしつつ、黒糖、きび砂糖などを入れて豚モツやこんにゃくをぐつぐつ煮込むだけです。
森下


味噌おでんも、同じ調味料で玉子、大根、こんにゃく、さつま揚げなどを煮込んでつくります。食材から旨味が出るので、煮込めば煮込むほど美味しくなるんですよ。煮汁の色も、だんだん濃くなっていきます。
森下


味噌おでんもどて煮も本当に優しい味で、いつも食べると「あ、これ! この味!」という感じで、ホッとしますね。
山田



――森下さんのお母さんの味なのでしょうか。
そうですね。味見をしながら「こんな感じだったな〜」と再現しています。
森下

――名古屋・愛知の名物以外にも、いろいろなメニューがありますね。
はい。「自分が本当に食べたいものを出す」がコンセプトです。だから、とんこつラーメンもありますよ。ときどきお客さんに「なんで?」って言われるんですけど(笑)。 でも意 外と、締めにラーメンだけ食べに来てくれるお客さまもいたりして、隠れた人気商品ですね。
森下

私は、ポテトサラダをほぼ毎回食べています。天かすが入っていて、じゃがいもの形もところどころに残っているので、食感に緩急があってクセになるんです。
山田


「私ってここが地元だったっけ?」と思うほど温かい石川台の人たち
石川台で店を開くことは、「直感で決めた」という森下さん。地域に根づいた商店街、目の前にたたずむ歴史ある神社などを見て、「良い“気”が流れている。絶対にここで店をやりたい!」と強く思ったそうだ。そうして実際に店を開いてから、おどろいたことがあったという。
オープンした ころは、ご近所の店に挨拶にも行けないくらい余裕がなかったのですが、なんとみなさんのほうから店に足を運んでくださったんです。石川台だけじゃなく、隣の雪が谷大塚や洗足池からも、お寿司屋さんやワインバーなど、いろいろな店の店主さんや、常連さんが遊びに来てくれて。
森下



会社員だった私が飲食店の経営という新しい世界に飛び込んで、いまもなんとかやれているのは、温かいこの街とここにいる人たちのおかげだと思っています。
森下

麻紀さんは、いつもお客さんに「みなさんのおかげ」「ありがとう」って言っていますよね。そんな麻紀さんだからこそ、みんな繰り返し来たくなるのかなと思います。
山田

だって、本当にそのとおりなんですよ。初めてのお客さまに、常連さんが「この店をよろしくお願いしますね」と言ってくれたり。毎日のように店を覗いて、「にぎわっている日は寄らない、暇そうなら立ち寄る」といった具合に気をつかってくれる人もいたり。ありがたいことです。
森下

――山田さんは石川台という街について、どんな印象を持っていますか。
いい意味で「都会っぽくない」と思います。のんびりしていて、どこか温かいというか、ホッとするというか。石川台に限らず、池上線沿線は昔ながらの商店街がある駅が多いので、そのイメージも影響しているかもしれませんね。それに夜になってもそれなりに人通りがあるので、1人でも安心して住める街だと感じます。
山田


下町っぽい雰囲気がありますよね。昼から仕込みなどの準備をしていると、犬の散歩で通りかかった常連さんが声をかけてくれたり、「クッキー焼いたよ!」と近所の人が持ってきてくれたり。ときどき「あれ、私ってここが地元だっけ?」と錯覚しそうになるくらい(笑)。みなさん本当に温かく見守ってくれるんです。
森下

着付け教室にもチャレンジ!? 広がる「森した」の可能性
――森下さんは、自宅もこのあたりですか。
いえ、同じ東急線沿線ですが少し離れています。だから、店を出すまで池上線とはあまり縁がなくて。でもいまでは、3両編成のかわいらしい電車が走るこの路線のファンです。 東急線沿線は池上線に加えて、目黒線、東急多摩川線、東横線、大井町線などいろいろな路線がありますが、それぞれに個性があって、違う世界が広がっているから楽しいですよね。
森下

――これから森したを、どんな店にしていきたいですか。
いままで以上にお客さまがくつろげる店になるよう、もっとスキルアップしないとですね。それから、自分の好きな着物や茶道をもっと前面に出したいと思っています。たとえば、着付け教室を開いたり、抹茶系のドリンクメニューを充実させたり。 いまも「抹茶ハイ」がメニューにあって、お客さまの目の前で抹茶を点てるとみなさん喜んでくれるんですよ。愛知県には西尾という有名な抹茶の産地があって、自分で点てて飲むこともわりと日常的なんです。
森下

――着付けは、店の目の前に神社があるので、お祭りの時期などは需要があるかもしれないですね。
そうなんです! 大好きなこの地域に対して、私の好きなこと、できることで恩返ししていけたら最高ですね。
森下


「夢は口に出せばきっと叶う」と、キラキラした笑顔で語ってくれた森下さん。店を通じて得た縁について聞いてみると、彼女の父の友人がたまたま近所に住んでいて店に来てくれた話や、その父と同じ年で「第2の父」と慕っている常連の話など、記事に書ききれないほど多くのエピソードが飛び出してきた。
周りとのつながりを大切にして、感謝を忘れない森下さんだからこそ、同じような心温かい人が集まるのかもしれない。
名古屋に縁がある人もない人も、ホッとできる場所がほしくなったら、池上線に乗ってこの店に足を運んでみてほしい。「いい意味で都会っぽくない街・石川台」の魅力を、存分に味わえるはずだ。

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