ロシア、ウズベキスタン、ジョージアの味を目黒で。現地出身の店主が営む、国境を超えた交流の場
- 取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
- 写真:北原千恵美
- 編集:藤﨑竜介(CINRA)
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「ペリメニ」「ハルチョー」「ボロディンスキー」。日本人にとって馴染みのないこれらの言葉は、ロシアとその周辺諸国ではポピュラーな料理の名だ。
東京・目黒にあるAnna's Kitchen(以下、アンナズキッチン)は、ロシア、ウズベキスタン、ジョージアの家庭料理とお酒をカジュアルに楽しめるレストラン。2023年のオープン以来、そうした旧ソ連の国々の出身者を中心に、多くのファンから愛されている。
ウズベキスタン生まれ、ロシア育ちのワレリー・グーセフさんは、オープン当初から通う常連客の1人。大好物のペリメニやニシンのマリネを肴にウォッカを飲みつつ、ロシア出身の店主・ルシコヴ・ヴラディスラヴさんと楽しそうに語り合う。
2人とも、しばらく祖国には帰れていないという。それでも、寂しさは微塵もない。懐かしい味や友人たちとの会話を通じていつでも故郷を感じられる、アンナズキッチンがあるからだ。
ロシア、ウズベキスタン、ジョージアの定番料理が、各国の出身者を懐かしい気分に誘う
――ワレリーさんは、2023年にアンナズキッチンがオープンした当初から、通い続けているそうですね。
当時、ウズベキスタン出身の友人がシェフとしてこの店で働いていて、行ってみようと思いました。オープンしたばかりでインターネットにも情報がなく、交番で場所を聞いてもわからない。たどり着くまで、苦労したのを覚えています。でも、料理はすごく美味しくて。それから1年半くらいずっと通っています。 特に好きなのは、ペリメニというロシアの水餃子です。都内のいろいろな店で食べてきたけど、アンナズキッチンのペリメニが一番。それから、ニシンのマリネも大好きです。たまに、ハルチョーというジョージアの辛いスープも注文します。
ワレリー


――ペリメニは、ロシアでポピュラーな料理なのでしょうか。
はい。ただ、少し手間がかかる料理ですね。ロシアの家庭ではたいてい、大量につくって冷凍しておくんです。うちの店でも、テイクアウト用の冷凍ペリメニを販売しています。50個くらいまとめて買っていくお客さんもいますよ。
ルシコヴ


自分でつくるのは、面倒だからね。私は正直、家ではつくらない(笑)。ここで食べられるから、それで十分だよ。
ワレリー

ペリメニには何通りかの食べ方があって、当店のようにサワークリームをつけて食べることもあれば、出汁と一緒に食べることもあります。最近はありがたいことに注文が多くて、つくるのが追いつかないくらいです。1週間で300個くらい出ますね。
ルシコヴ


――ハルチョーは、どんな料理ですか。
香辛料をたっぷり使ったジョージアのスープで、牛肉と米が入っています。最近は辛さを抑えたハルチョーを出す店も増えていますが、うちではそこそこ辛くしています。「蒙古タンメン中本」でいうと、7〜8くらいの辛さレベルでしょうか。
ルシコヴ


ただ辛いだけでなく、1日かけてゆっくり煮込むので肉がやわらかく、出汁のおいしさがしっかりスープに溶け込んでいます。
ルシコヴ


――アンナズキッチンではロシア、ウズベキスタン、ジョージアの料理を提供していますが、それぞれの特徴を教えてください。
ロシアとウズベキスタンの料理は、どちらもやさしい味わい。基本的に甘いか、しょっぱいかのどちらかです。ジョージアは、ハルチョーのような辛い料理も多いですね。
ルシコヴ

あとウズベキスタンはイスラム教を信仰している人が多いので、豚肉は料理で使いません。羊の肉や野菜を生地でロール状に巻く「ハヌム」とかが、おすすめです。
ワレリー

うちはロシア料理がメインですが、それだけだとありきたりになるので、ウズベキスタンとジョージアの料理もメニューに取り入れています。どちらの国の料理もロシアで人気ですし、文化交流にもなりますから。現地では誰でも知っているような定番の料理ばかりなので、それぞれの国出身のお客さんは懐かしがってくれますね。
ルシコヴ

店がつなげる客同士の縁。40年ぶりの再会劇も
ワレリーさんにと ってアンナズキッチンは、懐かしい味に触れつつ、同郷の人などとの会話も楽しめる特別な場所。「そこにいる全員が友達のような感覚になる」と彼が語るように、客同士の距離が近く、店内は絶えず温かい雰囲気と笑い声で満たされる。
――料理以外にも、ワレリーさんがアンナズキッチンに通い続ける理由があれば教えてください。
ルシコヴさんやスタッフの明るい性格もあって、店の雰囲気がとてもいいんです。居心地がいいから、お客さんもみんな楽しそうで。あとは、ときにロシア語で会話できるのもいいですね。
ワレリー


ウォッカを飲みながら、他愛もない話をしています。混雑しているときは自然とお客さん同士の距離感も近くなって、そこにいる全員が友達のような感覚になります。
ワレリー

ロシア語を話せる日本人のお客さんも多いので、来日したばかりのロシア人でもコミュニケーションを取りやすいと思います。すべてのテーブルに、ロシア語を話せる人がいた日もありました。
ルシコヴ


ワレリーさんは特に、いろいろな人と積極的にコミュニケーションをとっています。もちろん、話しかけられたくないお客さんもいるので、そういう場合はやんわりと注意しますが(笑)。
ルシコヴ

――ワレリーさんのように、ほかのお客さんとの交流を楽しみに通っている人も多そうですね。
バレエや音楽関係の仕事をしているお客さんも多くて、共通の話題で仲良くなったり、もともとの知り合いだったりするケースもあります。この店でたまたま居合わせた知り合い同士が、テーブルをつなげて一緒に飲むこともありますし、別々のテーブルに座っていたお客さん同士がじつはロシア時代の古い知り合いで、40年ぶりに再会したなんてこともありました。
ルシコヴ

アンナズキッチンに来れば、いつでも好きな人たちに会える
ワレリーさんと店主のルシコヴさんはともに、日本に移住して20年以上が経つ。ここ数年は、故郷に帰ることもできていない。それでも、まったく寂しくはないのだという。ワレリーさんに理由を問うと、「だって友達がいるから」と一言。
そんな友人たちとアンナズキッチンで過ごす時間は、故郷から遠い異国の地で暮らすうえでの糧になっているという。
――ワレリーさんとルシコヴさんの、故郷のことを教えてください。
私はウズベキスタン で生まれて、そのあと家族でロシアに移住しました。ニジニ・ノヴゴロドという、モスクワの近くにある古い街です。ヴォルガ川とオカ川が合流する丘の上に建つ、クレムリン(城砦)が有名ですね。
ワレリー

私はロシアの極東部にあたるブラゴヴェシチェンスクという街で生まれて、10歳のときに家族で日本に移住しました。ブラゴヴェシチェンスクは、アムール川を挟んだ向こう岸が中国で、泳いで渡れるくらいの距離です。 小さな街で、人口は20万人くらい。大きなチョコレート工場と国境を守る軍隊の基地があって、のんびりしたところですね。
ルシコヴ

――ワレリーさんは、いつロシアから日本に来たのですか。
もともとロシアでバレエダンサーをしていて、日本には公演でよく来ていました。日本人と結婚して、日本で暮らし始めたのが2001年。それからはずっと、日本が拠点です。
ワレリー

――日本での生活に戸惑ったり、故郷が恋しくなったりすることはありませんでしたか。
日本語を覚えるまでは大変なこともありましたが、帰りたいとは思いませんでした。食事を含め、異文化に戸惑うこともなかったです。ホヤだけは少し苦手ですが、日本の料理は何でも食べられます。納豆も好きですよ。
ワレリー


それに、どこに住んでいようと、近くに友達がいれば寂しくありません。いまはアンナズキッチンもありますしね。ここに来れば、好きな人たちにいつでも会えますから。
ワレリー

ワレリーさんにそう言ってもらえるのはうれしいですね。都内にあるロシア料理店はたいていもっと価格帯が高くて、ふらっと立ち寄れるような場所は意外と少ない。もっと気軽にロシア料理や同郷の人たちとの会話を楽しめるアットホームなレストランをつくりたいと思って、アンナズキッチンを始めたんです。
ルシコヴ

――実際、この店の存在に助けられている人は多いでしょうね。
そうだといいですね。もちろん、アンナズキッチンをロシアの人だけが集まる場所にしたいとは思っていません。この店をやっている目的の1つは、文化交流。料理やお酒を通じてロシア、日本、ウズベキスタン、ジョージアなど、さまざまな国の人たちをつなぎたいと思っています。
ルシコヴ

名画座、博物館、桜、そして優しい人たち。ルシコヴさんの「目黒愛」
ルシコヴさんにとって、目黒は自身の店を構える街。思い入れも強い。目黒の印象を問うと、まるで故郷について聞かれたときのように目を輝かせながら、存分に魅力を語ってくれた。
――目黒には、ロシアやウズベキスタンの出身者が多いのでしょうか。
そうですね。旧ソ連圏出身の人が、多い印象です。うちの店のお客さんは、2割くらいがそういった人たちですし。以前に違う街のロシア料理店で働いていたときは、ここまで多くありませんでした。
ルシコヴ


目黒にはロシア正教会の聖アレクサンドル・ネフスキー教会や、ロシア式バレエのスクールもあります。旧ソ連圏から来た人たち同士の、ゆるやかなコミュニティが築かれていると思います。
ルシコヴ

――ルシコヴさん自身は、目黒に対してどんな思いを抱いていますか。
じつは店を開く前から、目黒にはよく来ていました。アクセス面や、都心なのに落ち着いた雰囲気など、良さはいろいろとありますが、一番気に入っているのは魅力的な個人店が多いところです。夜遅くまでやっている店もあるので、自分の店を閉めたあとでもしっかり食事をしたり、バーでお酒を飲んだりできるのがいいですね。
ルシコヴ


名画座「目黒シネマ」や「国立科学博物館 附属自然教育園」もあって、桜で有名な目黒川もすぐ近くです。桜の季節は中目黒駅を利用する人が多いのですが、じつは目黒駅から行ったほうが混雑しないのでおすすめですよ。
ルシコヴ

――ルシコヴさんの目黒愛が伝わってきます。
良さはまだまだありますが、何より外せないのは「優しい人」が多いこと。うちのお客さんを見ていても、穏やかで知的な人が多い。週末の夜でも酔っ払いの姿はあまり見かけませんし、すごく治安がいい。それも目黒の大きな魅力の1つですね。
ルシコヴ


インタビューが終わると、そのままカウンターに陣取り、本格的に飲み始めたワレリーさん。2皿目のペリメニをつまみながら、美味しそうにウォッカをあおる。その姿を厨房から、満足そうに眺めるルシコヴさん。
まだ夕方。このあと店には、いつものように友人たちが続々と集まるのだろう。ワレリーさんを中心に、ロシア語や日本語が飛び交う賑やかな夜。そんな光景が、ありありと想像できた。
ルシコヴさんが、この店のテーマに掲げる「文化交流」。その門戸は国籍、性別、年齢を問わず、誰にでも開かれている。

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