スタッフ以上、家族未満の関係を育んだ6年間。日吉の居酒屋・遊ZENたつ吉と慶應OBの深い仲
- 取材・文:三浦希
- 写真:大西陽
- 編集:川谷恭平(CINRA)
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東急東横線と目黒線、東急新横浜線が交差する日吉駅。都心や横浜へもアクセスしやすいこの街には、落ち着いた住宅街と学生たちでにぎわう通りが混在している。慶應義塾大学日吉キャンパスを中心に、緑あふれる並木道や個性豊かな店々が、訪れる人に穏やかな時間を届けてくれる。
そんな日吉エリアに、慶應義塾大学OBや学生たちに長年愛され続ける一軒の居酒屋がある。その名も「遊ZENたつ吉」。1975年の創業以来、50年ものあいだ、地元に根ざし続けてきた名店だ。
今回は、慶應大学、そして大学院在籍中の6年にわたって、「たつ吉」でアルバイトを続けてきた石本ショウゴさんと、2代目女将・島名貴子さん、店主・島名正人さんによる語らいの様子をお届け。穏やかな縁のかたちを感じてみてほしい。

「飲食バイトは反対」だった父も、たつ吉なら安心してくれた
――石本さんは、6年間もたつ吉でアルバイトをしていたとのことですが、そのきっかけはどんなものだったのでしょうか?
高校を卒業したころにたつ吉のアルバイト募集を見かけて、応募したのがきっかけですね。それ以前から、家族の祝い事などがあればいつもたつ吉を利用していて、家族も、「たつ吉なら大丈夫」と言ってくれました(笑)。特に父は、飲食店のアルバイトについてあまり良い印象を持っていなかったんです。
石本


――夜遅くまで働いて、ちょっとキツいイメージはありますよね。
そうなんです。父はいわゆるチェーン系の居酒屋アルバイトは少しヤンチャな人が多いと思っていたようで。ただ、僕自身は、いままで出会ったことのない人と出会いたい気持ちが強くて、居酒屋で働いてみたかったんです。たつ吉ならなじみもあるし、父に話してみたら安心してくれて。僕も、昔から好きなお店で働けるのはとってもうれしかったですね。
石本


――石本さんを迎えた当時、女将の島名さんはどんな印象を持たれましたか?
うちはとにかく常連さんが多い店で、ショウゴ(石本さん)もその一人でした。ご家族でボトルを入れていて、節目ごとに来てくれていたのを覚えています。ただ、アルバイトの学生さんはたくさんいるので、誰が長く続けてくれるかはわからなくて。最初は「ちょっと面白そうな子だな」という印象でしたが、まさか6年も続けてくれるとは思ってもいませんでした。
島名


――アルバイト時代のエピソードで、印象に残っているものは何かありますか?
たくさんの方との出会いがありましたが、とくに印象深いのは常連の五十嵐さんです。
石本

――どんな方だったんですか?
アルバイト中によく声をかけてくれる方で、日吉のほかの居酒屋飲み屋で会ったときも、変わらずフランクに接してくれて。お店が少し暇なときなんて「もう上がっちゃえよ、一緒に飲もう」と誘ってくれることもありました。
石本

――それ、女将さん的にはOKだったんですか……?
女将として、そこは少し目をつぶりました(笑)。
島名

「先に上がらせてもらいます」とだけ伝えて、五十嵐さんと乾杯してたり(笑)。あと、私が結婚した際に、妻と「たつ吉」を訪れたら、たまたま五十嵐さんがいらして。こう言ってくれるわけです。「今日は俺が払うから、好きに飲んでいいぞ!」って。
石本

――とても豪快な方なんですね。それも一つの 「縁」 というか。
とってもうれしい縁でつながっていたように思えます。アルバイトを離れたいまでもたつ吉を訪れていますし、来るたびにありがたい気持ちになります。
石本


――島名さんは、女将として、石本さんをどう見ていらっしゃいましたか?
一言で表すなら、「すごいアルバイトスタッフ」ですね。
島名

――すごいアルバイトスタッフですか。
これまでたつ吉には多くの学生が働いてくれたましたが、ショウゴは本当に一番仕事ができた。まず、記憶力が抜群で。1階のホールと2、3階の宴会場を同時に回すような場面でも、ショウゴがいれば大丈夫、という安心感がありました。うちの夫(店主の正人さん)は職人気質なので、店がスムーズに回らないと不機嫌になるのですが……ショウゴがいる日は、不思議と怒らないの(笑)。
島名




ボトルを交わしながら6年分の「ありがとう」を語る
島名さんの言葉が一同の笑みを誘うと、厨房の奥から穏やかな声が返ってきた。軽快な仕込みの音と店主・正人さんの笑顔が、石本さんをアルバイト時代の思い出に誘う。
俺の話してる? 聞こえてるよ(笑)。せっかくだから、刺身や姉妹店「そば処たつ吉」のそばなんかも食べていきなよ。いまつくるから、待ってて。
正人

(しばらくして、厨房からだし巻き卵の甘い香りが漂ってくる。そして正人さんが大皿を手に戻ってくる)



さぁ、できたよ、「だし巻き卵」に「刺身盛り合わせ」、「モッツァレラチーズの湯葉揚げ」、「小海老みぞれそば」。スペシャルセットだなぁ(笑)。
正人

いやー、すごくうれしいですね。「モッツァレラチーズの湯葉巻き揚げ」は、僕が客としてたつ吉にお邪魔する際には必ず注文するほどの大好物なんです。
石本





――とてもおいしそうです。ところで、正人さんにとって、当時の石本さんはどんな印象でしたか?
正直、ショウゴが最初に来たときは「どうかねぇ……」なんて思ってたんだ。女の子が軽々持ち上げられるものでも、全然持ち上げられなかったし。ヒヨッコだったなぁ。
正人

たしかに。最初は何もできませんでした(笑)。
石本

ただ、日を追うごとにしっかり仕事をしてくれてるようになって、いま思えば本当に助けられてたなって思うよ。
正人

アルバイト時代も含めて、こんなに褒めてもらうのは今日が初めてです(笑)せ っかくだから、家族で入れた「石本ボトル」をいただいちゃおうかな。
石本

乗ってきたねぇ(笑)。
正人



スタッフ以上、家族未満。たつ吉で育まれた関係
店主、女将、そしてスタッフ。そんな立場の境界を超えて、いつしか店主ご夫妻と石本さんの間には、家族のような信頼と絆が生まれていた。たつ吉で重ねた時間がどんな縁を育んだのか語り合う。
――とても仲睦まじいのが伝わってきますね。
うちは娘が3人いるのですが、ショウゴと年が近い子がいて。それもあって、仕事のときだけではなくて、店の皆で日帰りバスツアーに行っ たりもしたんですよ。
島名

――女将とアルバイトの関係性で、そこまでの交流もあったんですか……?
フットサルもよく一緒にやっていましたね。
島名

「たつ吉フットサルクラブ」、懐かしいですねぇ。
石本


――島名さんにとって、「一人のアルバイトスタッフ」ではなかったような印象も受けますね。
「家族」とまで言いませんが、どこか「友達」のような感覚ですね。そもそも「石本くん」ではなく「ショウゴ」と呼んでいるぐらいですから。大学時代に所属していた、和楽器サークルのコンサートを観に行ったこともあったよね。
島名

あれは少し恥ずかしかったけれど、とてもうれしかったですね。それに、僕たち夫婦の結婚式にも、島名さんご夫妻を呼ばせてもらって。家族と同じぐらいのつながりを感じていますし、これからも大切にしていけたらいいなぁと思っています。
石本

季節と心のうつろいを感じる、この街に暮らすということ
料理が運ばれてくると、話の流れは自然と変わっていった。これまでのやりとりを受けて、話題は「季節」や「この街で暮らすこと」へと広がっていく。
――メニューを拝見するに、季節を感じる料理が多い印象を受けますね。
そうですね、季節ものを楽しんでもらえるように意識しています。 また、ご予約いただいたお客様には、お箸の下に季節の挨拶を添えた敷物をご用意しています。月に2回ほど内容を変えていて、お名前も添えています。お客さんから「持って帰ってもいいかしら?」なんて聞かれることもありますよ。
正人

――お客さま一人ひとりのお名前が書いてあるのも、とってもすてきですね。
スタッフとして働いてくれたショウゴにも通じますが、やっはり、目の前のお客さん一人ひとりに対して、真摯に向き合うことが、何よりも大切なことだと思っています。皆さまに支えていただいてこそ、たつ吉は続いているんです。
正人


――大切なお話を聞かせていただき、ありがとうございます。
たつ吉の料理と同じように、日吉という街にも「季節を感じさせてくれる瞬間」がたくさんあります。入学シーズンには、フレッシュな新入生が増えて、秋の慶應のOBイベントには年配の方々が戻ってくる。冬の忘年会シーズン、卒業シーズンも同じですよね。そこにいる人々の流れを通じて季節の豊かさが感じられる街なんです。
石本

私はこの近くにある「日吉台小学校」の100期に入学したのですが、自身が育った街でお店を続けられることが、すごく幸せです。街は人がつくるもの。日吉で暮らす一人として、この場所を育てていきたいと思っています。
島名


創業から50年、日吉の街で穏やかな歴史を重ねてきた「遊ZENたつ吉」。料理の味だけでなく、そこに流れる温かな空気や、交わされる言葉、ふとしたしぐさの一つひとつに、人と人の縁が息づいている。人と人の関係性を育む場所として、温かな 「縁」をつなぎ合わせ続ける場所として、これからもたつ吉は日吉の街とともに時を重ねていくことだろう。
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