縁線図鑑気づけばほら、つながりだらけ。

No.022

読者のご縁飯

愛猫と常連を守るために、あえてお客さまを「選ぶ」。駒沢大学の居酒屋、スイレンの譲れない流儀

  • 取材・文:三浦希
  • 写真:大西陽
  • 編集:川谷恭平(CINRA)

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世田谷区と目黒区の境界に位置し、渋谷駅まで約7分という抜群のアクセスを誇る駒沢大学駅。その名のとおり、多くの学生が行き交うエリアであり、近くには緑豊かな「駒沢オリンピック公園」も広がることからファミリー層からも人気の街として知られている。

そんな駒沢大学駅の近くに、ちょっと不思議な居酒屋があるという。「縁線図鑑」に寄せられたウワサによると(※1)、そのお店にはいつも1匹の猫がいるらしい。店名は「スイレン」。

駅前商店街沿いに位置するこの店には、常連客と猫の深い愛情と絆があり、人と人、人と猫をつなぐ温かな 「縁」が息づく。そんなスイレンでプロポーズをした西澤さん夫婦、そして店主・古舘篤史さんが、店を包み込む特別な縁について語ってくれた。

* 1 縁線図鑑では、人と人の縁を感じられる魅力的なお店の推薦を受け付けています。投稿はこちらから

左から店主の古舘篤史さん、西澤希姫さん、西澤龍星さん

「家族」が生まれる居酒屋

――まずは、お店の歴史について教えてください。

僕自身、かなりフラフラしていたんですよね。もともと桜新町のあたりでアルバイトをしながら暮らしていたのですが、そのころに駒沢大学駅周辺を訪れることがあって。 当時、この場所には中華屋さんが入っていて、美味しそうだなぁと思い、ふらっと入店したんです。すると店主から「腰が悪くなってきていて、もう店を閉めようと思ってるんだ」と話をいただきました。もともと、なんとなく居酒屋をやりたい気持ちもあったので、先輩とともに、この場所でお店を開くことにしたのが、オープンのきっかけですね。

古舘

――店名の「スイレン」には、どんな由来があるのでしょうか?

いまから30年ほど前に出会ったバンドの名前なんです。はじめて聴いたとき、ものすごくかっこいいなぁと思い、ボーカルの人に声をかけてライブの打ち上げに参加させてもらったんですよね。 そのとき「なんか夢はないのか?」と聞かれて。ふと「居酒屋をやりたいんですよ」と話したところ、「それならこの名前を使えばいい」と、「SUIREN」の名前をいただくことになったんです。「酔連」という意味にも通じ、“酔う連中” と表せることもあり、この店名に決めました。

古舘

店に飾られていた漫画『WORST』のフィギュア。原作者の高橋ヒロシさんもバンド「SUIREN」のファンだそう

――そんな経緯があったんですね。

もしこの店が立ち行かなくなってしまったら、あのとき「夢はないのか?」と声をかけてくれたバンドの兄貴にも申し訳ない。だからこそ、いまもこうして頑張れているのかもしれません。それも1つの 「縁」なのかな、と。 少々話が逸れますが、飼い猫のトムに対しても同じことを思っていますね。命を預かる責任、というか。そういう「縁」が重なり合ってこの店が成り立っているわけです。

古舘

――このお店の常連である西澤さんは、バンド名のエピソードを知っていましたか?

初めて聞きましたね(笑)。私たち夫婦が最初にスイレンに来たのは、2022年2月。駒沢エリアに引っ越してきたばかりで、右も左もわからない状態でした。でも、一人飲みが好きなので、「駒沢 一人飲み」とネットで調べてみたんです。

希姫

――つまり、駒沢で最初の一人飲みがここだったんですね。

そうなんです。口コミサイトに「猫ちゃんがいる」「料理がおいしい」と書かれていて、勇気を出して来てみました。店長と目が合い、「入るならどうぞ」と言われたのをいまでも覚えています。入ってみると、ものすごく居心地が良かったので、すぐに彼も呼んだんですよ。それからずっと、このお店のことが大好きです。

希姫

じつはこの二人、スイレンで結ばれたんだよね(笑)。

古舘

――えぇっ!? プロポーズをここでした、ということですか?

彼女が僕とのペアリングを失くしてしまった話をしていたときに、「僕はいつでも結婚できるけど……」と言いました。ちょっと恥ずかしいですね……(笑)。

龍星

もちろん、龍星は酔っ払ってプロポーズしたわけじゃないよ(笑)。二人が結ばれてすごくうれしかったなぁ。 僕はいつもワンオペで店を回しているから、時折常連さんがドリンクや料理の提供を手伝ってくれたりもするんだけど、希姫ちゃんや龍星は特別。まるで家族のような存在で、いつも頼りにさせてもらっています。

古舘

自分で飲むものを自らつくったりね(笑)。常連同士の距離も近くて、スイレンでお酒を飲むと、すごくアットホームで穏やかな気持ちになれるんです。それこそが、このお店を愛する理由ですね。

希姫

メニューにない一杯と、じっくり煮込まれたオムライスの秘密

店主・古舘さんが貫く、お店への想い。それは「守るべき大切なもの」への愛情とも言えるのかもしれない。そんなスイレンには、希姫さんと龍星さんがこよなく愛するメニューがある。

――では、そんな西澤夫妻が愛するメニューについて聞かせてください。

まず、飲み物から。私はスイレンに来ると、必ずウイスキーのウーロン茶割りを頼みます。一般的な「ウーロンハイ」は焼酎を使いますが、「ウイスキーを入れたら美味しいのかな?」と思って、店長に許可をもらい試してみたんです。そしたら、とってもおいしくて。それ以来、ずっとこればかり。メニューには載ってない「私だけの味」なんですよ。

希姫

ウイスキーの緑茶割りはメニューにあるけど、ウーロン茶割りは希姫ちゃんのオリジナルだよね。龍星は、いつも緑茶割り派だよね。

古舘

そうですね。カウンターに並んで、それぞれウイスキーのウーロン茶割りと、緑茶割りを飲んでいて。その時間が、すごく好きです。

龍星

――まさに常連だからこそ生まれたメニューですね。では、料理についてはいかがでしょう?

絶対に頼むのはポテトサラダ。初めて来たとき、ポテトサラダを注文したら、一緒にソースを出してくれたんです。それがとにかくうれしくて。私、小さいころ、ポテトサラダにはソースをかけて食べるのが当たり前だったです。あの懐かしい味を思い出した瞬間、思わずテンションが上がりました。それ以来、毎回注文しています。

希姫

スイレンの料理は、全体的に薄味なんだけど、ポテトサラダだけは特別。甘みの強い「メークイン」を使い、マヨネーズも控えめ。だからこそ、ソースがすごくあうんだと思います。

古舘

「ソースかけてもいいんだ……!」と、ものすごくうれしかったですね。

希姫

――古舘さんがこだわっているほかのメニューも気になります。

「特別なこだわりはない」と言いたいところだけど、オムライスだけは少し手間をかけています。ケチャップを3時間煮詰めて水分を飛ばし、玉ねぎや鶏肉を加えて、さらに3時間煮込んでいます。そうすることで、ケチャップの酸味が抜けてまろやかになり、トマトの甘みが凝縮されるんです。チキンライスの味にはけっこうこだわっていますね。

古舘

あとは「ポテトカレーフライ」。ただポテトフライにカレー粉をまぶすだけじゃなく、特製のあわせ塩を一振りすることで、ほかにない味になっているのかなぁ、と。

古舘

さて、全部の料理がそろったよ。

古舘

――とても美味しそうです。

料理をつくってたら、トムも起きてきたみたいだ。

古舘

猫のトムくん。カウンターやテーブルの上を自由に動き回るが、料理を食べることはない

奇跡的に助かった命が、さまざまな縁をつなぎあわせてくれる

甘い香りが立ち込める店内。立ち上る湯気に誘われるように、それまでぐっすり眠っていた店主の飼い猫・トムくんが、ゆっくりと目を覚ます。お酒とともに会話が弾み、話題は店主・古舘さんとトムくんの出会いへと移っていく。

――すてきなプロポーズや料理の話ですっかり盛り上がってしまいましたが、トムくんとの出会いについても教えてください。

いつ聞いてくれるのかなって、待っていたよ(笑)。トムと出会ったのは、いまから9年前。この店の営業が終わって、深夜2時ごろに家に帰る途中でした。とある駐車場で、1匹のネコが倒れているのを見つけたんです。パッと見て、もうダメかもしれないと思ったのですが、せめてでもと、段ボールに入れてあげようとしたらかすかに息をしているのがわかったんですよね。

古舘

――瀕死の状態で、古舘さんと出会ったんですね。

その3日前にも、別のネコが車に轢かれてるのを目撃してしまって、正直「またか……」とショックでした。でも、トムはギリギリ生きていたんだよね。で、すぐに夜間病院に駆け込みました。それでも、ぐったりして反応がないまま2時間ぐらい経ったころ、突然「ニャーーー!!」と鳴き声が聞こえて。

古舘

――命を取り戻した瞬間だったと。

そう。病院の先生から「息は吹き返しましたが、引き取り手がいないと助かる見込みはないです。どうされますか?」と聞かれました。でも、迷うことなくトムを家に連れて帰ることにしました。「僕が面倒をみよう」と思って。 当時住んでいた家はペット禁止だったんですけど、大家さんは犬を飼っていて。そのワンちゃんの散歩を手伝うこともよくあったので、思い切って大家さんに「この子を飼ってもいいですか?」と聞いたんです。そしたら大屋さん、「こんな具合の悪そうな姿を見せられたら、ダメなんて言えないわよ」って。それで、トムは僕の家族になったんです。

古舘

――いまはすっかり元気になりましたね。

いや、じつはいまも腎臓や心臓が悪く、1日3回薬を飲ませているんだ。でも、あのころに比べたら、元気を取り戻したね。 当時は呼吸も浅くて、心臓の鼓動も異常に早くて、とても家に一人で置いておける状態ではなかったんです。それで、当時の常連さんたちと相談して、スイレンにも連れてくることにしました。

古舘

看板猫ではなく、「ただ一緒にいる存在」として

想像を超える壮絶な過去を乗り越え、家族となった古舘さんとトムくん。深い縁でつながった一人と一匹を、常連さんたちは、どのように見ているのか。まずは、希姫さんが話してくれた。

――常連さんにとって、トムくんはどのような存在なのでしょうか?

店長がトムに注射を打つ姿や、ご飯に薬を混ぜて食べやすく工夫をしているところを、何度も見ています。でも、それを特別に見せようとしているわけではなく、いわゆる「看板猫」ではないと思います。ただ、一緒にいる。お客さんたちは、その姿を見て思い思いに喜んでいる。いってしまえば、「妖精」みたいなものなのかもしれません。

希姫

店内にはお客さんへの注意書きも。「必要以上に写真を撮るなど、トムに負荷をかけることはしないでほしい」と古舘さん

じつは、僕はお客さんを選ぶんです。

古舘

――選ぶ?

少しでも「この店にあわない」と思ったら、入店する前に「ごめんなさい」とお断りすることがあるんです。それは、トムや常連を守るためでもあります。トムは、お店の皆で育てているような存在で、それはひょっとすると、店自体にも通じるかもしれません。希姫ちゃんや龍星のように、提供を手伝ってくれる常連の方々もいて、スイレンは皆の力で守られているんです。 トムも同じように「ここには敵がいない」と思っているはず。だからこそこうして、誰にも迷惑をかけることなく、誰かから食べ物をもらうわけでもなく、ただ穏やかかにここにいられるんですよね。

古舘

――それはきっと、心理的安全性という意味で、お客さんにとっても同じことなのかもしれませんね。

最初は「猫がいる!」という気持ちで来る方も多いですが、次第に癒されて、「この子はいわゆる “看板猫” じゃないんだ」と気づいていくんです。「私が一杯飲むお金がトムの暮らしを支えてるんだ」なんて、冗談混じりにいう方もいるんですよ。 トムは常連同士を、そして彼らと初めてきた人をつないでくれる。そんなシーンをよく目にします。まるで店の景色の一部のように、自然とそこにいてくれるんですよ。

古舘

街は変わっても、縁は変わらない

景色に溶け込むように、店内をゆったりと歩き回るトム。カウンター越しの古舘さん、そして西澤夫妻をはじめとした数々の常連さんたちが、いつも変わらぬ温かなまなざしで見守っている。

――「ここには敵がいない」とは、きっと「街」 にとっても大切なことのように思えます。

街は変わり続けていくけれど、スイレンや、常連の関係、そして僕とトムとの関係は、なるべくかたちを変えずにいたいですね。その時々で「縁」のかたちは変わるけれど、大切にしていけば、それが一番良いんじゃないかなとと。 入店をお断りする方もいるけれど、基本的には、トムや店を大切にしてくださる方なら、大歓迎です。

古舘

私がスイレンや店長、そしてトムに出会ったのが、たった2年前。夫・龍星との結婚を決めたのも、そのころのことです。スイレンは、私にとってだけでなく、家族にとってもとても大切な場所なんです。これからも変わらず、すてきな縁でつながっていたいし、なるべくずっと店長のお手伝いをしていけたらいいなぁと思います。

希姫

猫がいる、居酒屋。ただそれだけの言葉で片づけるには、もったいないほど魅力的な店だった。

客席の間を縫うように、歩き回るトムくんは、時折「ニャー」と鳴き、静かに常連たちの酒宴を盛り上げる。取材中も、何度か小さく鳴き声を上げていた。その声はひょっとすると僕らを歓迎してくれていたのかもしれない。

彼の優しい声を聴きながら、グラスを傾ける、そんな時間が、きっと一番の贅沢なのだろう。

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Information 取扱店舗情報

スイレン

住所:東京都世田谷区上馬4-7-9 クレールメゾン102

TEL:03-5787-8660

営業時間:17:30〜24:00(LO23:00)

定休日:不定休

アクセス:東急田園都市線駒沢大学駅から徒歩約3分

店舗情報は2025年2月の取材時点のものとなります。

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