桜新町「きさらぎ亭」の復活劇。料理未経験だった駒大OBは、頼れるエース社員に
- 取材・文:井上マサキ
- 写真:沼田学
- 編集:川谷恭平(CINRA)
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長谷川町子美術館があり、サザエさんゆかりの地として知られる桜新町。東急田園都市線を桜新町駅で降り、地上への階段を抜けると、サザエさん一家の銅像が出迎える。そのまま用賀方面に5分ほど歩くと見えてくるのが「きさらぎ亭」。40年以上の歴史があり、昔からの常連も多い定食屋だ。
そのスタッフの一人、柴崎気敏(しばさき・けびん)さんは、駒澤大学在学中に店でアルバイトを始めたことをきっかけに、きさらぎ亭で働くようになったという。現在は厨房に立つ柴崎さんは、きさらぎ亭でどんな日々を過ごしたのか。
今回は2代目オーナーの横山茜(よこやま・あかね)さんを交え、お互いを「茜さん」「ケビン」と呼び合う2人に、きさらぎ亭のこれまでとこれからを聞いた。

閉店の危機をクラウドファンディングが救った
横山さんの両親が桜新町に店を構えたのは、1977年のこと。以来40年以上にわたり、ボリュームたっぷりの定食で地元の人たちに愛されてきた。この日も、30数年前にきさらぎ亭でバイトをしていたというお客さんが訪れ、「茜ちゃん大きくなったね」と声をかけてくれたそう。
――横山さんは生まれてからずっと桜新町で育ったんですか?
いえ、ミュージカル俳優が夢だったので、18歳で大阪芸術大学に進学しました。親とは4年間という約束だったのに、卒業後も大阪で働いて結婚して、結局20年いました(笑)。 でも、2011年に東日本大震災が起きて、あらためて考えたんです。両親は年を取ってきたし、自分は一人っ子。私が店を継ぐべきだろうなって、家族で桜新町に戻りました。
横山

――ご両親はなんと?
父は「お前には無理、できっこない」という感じでしたね。でも子どものころから厨房は見てきたし、「私はできる」という自信がありました。「やってやろうじゃないか」という気持ちで、そこからしばらくはお店で修行です。
横山


――どの辺からお父さんの気持ちに変化が?
父にしかつくれなかったエビクリームフライを、私にもやらせてもらったんです。エビクリームフライをつくれるようになってから、ほかの仕事も任せられるようになりましたね。 でも本当は誰でもつくれるんですよ、私ができたんだから(笑)。100回でも200回でも練習すれば、できるようになるんです。
横山



でも2017年に、お店が入ったビルが老朽化で取り壊されることになって……。
横山

――えっ、もともと違う場所だったんですか?
前はここから200mくらい先かな? 取り壊しの話は以前からありましたが、最終的に退去が決まったのが1か月前で、もう店は大騒ぎ。両親は「もうやめよう」と言うし、私は意地でも続けたいけど、移転するにも資金がない。そこで、夫の提案でクラウドファンディングをしたんです。もうね、超アナログな店だから、貼り紙にアドレスを手書きして。閉店までの1週間、本当にたくさんのお客さんが資金を提供してくれて、最終日に目標金額を達成しました。
横山

――ギリギリだったんですね……!
「俺こういうのわからないから」って1万円置いていくお客さんもいましたし、クラウドファンディングの運営会社の方も「私きさらぎ亭、知ってます!」ってすぐに準備してくださって。あらためて、こんなに愛されている店をなくしたらダメだと思いました。
横山


「食べ方を見ればその人がわかる」駒大OBを採用した型破りな面接
こうして2018年2月、現在の場所に新たなきさらぎ亭がオープン。横山さんが2代目オーナーになった。その2か月後の2018年4月、柴崎さんがきさらぎ亭を訪れる。
2年生のとき、きさらぎ亭でバイトしていた友達から「人手が足りないから働かないか」と紹介されたんです。それまで、きさらぎ亭には食べに来たことがなくて。面接のときに食べたすき焼き丼が最初でした。
柴崎

うちは面接のときに、メニューから好きなものを選んで食べてもらうんですよ。じゃぁ今日の賄いは、すき焼き丼にしよっか。
横山

――(ん、面接で料理を食べてもらう?)


「2代目になって変わった」と言われたくないので、味も量も仕入先もずっと同じままです。お米は銘柄にこだわってコシヒカリ。父は「お腹いっぱい食べさせたい」という人だったので、ご飯の量も多いんですよ。
横山



普段ファミレスとかで大盛りを頼んでいたので、面接のときも「大盛りでお願いします」と頼んじゃったんですよね。友達から「お腹空かせて行きなよ」とは言われていたんですけど、食べきるのが大変で……。
柴崎

「本当に大丈夫?」って確認したもんね。大盛りなめるなよって(笑)。
横山

――ところで、なぜ面接で料理を出すんですか?
それは父からの教えなんです。うちの面接では好きなものを食べてもらって、その食べ方を見る。「食べ方を見ればその人がわかる」と父がよく言っていたんです。見られるほうは緊張するで しょうけどね。
横山

――ユニークな面接ですね。柴崎さんはどうしてすき焼き丼を?
じつは僕、生野菜が食べられないんです。メニューの写真を見たら、ほとんどのメニューにキャベツの付け合わせがあって……。「食べられません」とは言えないし、どうしようと考えていたら、生野菜がないすき焼き丼を見つけたんです。
柴崎

あとでその話を聞いて、「野菜食べられないの!?」ってビックリしましたよ。
横山

面接に受かってしまえばこっちのものなので(笑)。
柴崎


――バイト時代はどんな仕事を?
配膳と接客からスタートでしたね。もともと、接客の経験はあったんです。高校3年生のときにスーパーの野菜売り場でバイトしてましたし、大学1年生のときはラーメン屋さんで働いていて。
柴崎

へぇ~、そうなんだ。
横山

――あれ? 横山さん、初耳なんですか?
初めて。全然知らなかった。
横山

バイトの面接なのに、食べ方ばかり見て、接客業の経験についてはまったく聞かないんですよ。
柴崎

――ある意味、ポテンシャル採用だったんですね。

包丁を握ったことがないバイトが、頼れる社員として成長するまで
桜新町には駒澤大学や日本体育大学があり、きさらぎ亭には学生のお客さんも多い。体育会の学生たちが団体で訪れ、みんなで大盛りを頼むこともあるそう。きさらぎ亭のアルバイトたちも学生がメインだ。
――学生時代は、週何日くらいバイトに入っていたんですか?
週3、4日は入ってました。乃木坂46がずっと好きで、学生時代にきさらぎ亭で稼いだお金はほぼ推しに使いました(笑)。夜のシフトだと賄いを食べさせてもらえるので、食費も浮くし、すごく助かりましたね。
柴崎

遠くから友達が食べに来てくれたこともあったよね。愛知だっけ?
横山

そうです、そうです。東京でライブがあるとき、地方にいる乃木坂ファンの友達がわざわざ食べに来てくれるんですよ。ありがたいですよね。
柴崎

――そこからなぜ、きさらぎ亭で働くことに?
就職活動がうまくいかなくて悩んでいるときに、茜さんから「うちで働いてみる?」と声をかけてもらって。お世話になった恩返し、といったらおこが ましいですけど、自分もきさらぎ亭になにか貢献できればと、こちらからもお願いさせてもらいました。
柴崎

父が他界して、社員は店に立つ私と母、そして事務を担当する夫の3人になったんです。社員がもう1人ほしいけど、うちはそんなに難しい料理をつくっているわけじゃないし、職人気質の人が来ても私とぶつかりそう。それなら、ずっとやってきたケビンがいいんじゃないかと思って。
横山



それと、私は相談する人がほしかった。いまは、「こうしようと思うけど、どう思う?」と、何気ないことを何でもケビンに相談しています。ケビンは「いいじゃないですか」も「それは違うんじゃないですか」も、どっちも言ってくれるから、とても心強いです。
横山

――社員になると、厨房にも立つように?
そうですね。でもここに来るまで、料理なんて全然してなかったし、包丁を握ったこともなかったんですよ。野菜に興味がないから、キャベツとレタスの区別もつかない(笑)。キュウリを切るところから始めたんですが、手の置き方は危ないし、切り口もガタガタ。本当にゼロからでしたね。
柴崎

最初は皆そうだから。数をこなしていけば、誰だってできるようになる。いまはケビンもだいぶこなせるようになったけど……本当はまだまだ、私がやったほうが早いんですよね。そこを我慢して見守らないといけないから、育てるのって難しい。
横山

――ちなみに、エビクリームフライは……?
最近「やってみな」って言われてつくるんですけど、やっぱり茜さんのようにはうまくいかないですね。お客さんには出せないので、皆に試食してもらっています。
柴崎

でももうちょっとだよ。もうちょっとで、できる。
横山


変わりゆく桜新町で、変わらない味を守り続けたい
2022年に社員になって3年目。学生時代はずっと三鷹から通っていた柴崎さんは、半年ほど前に桜新町エリアに引っ越してきた。生まれも育ちも桜新町の横山さんと、“桜新町ビギナー”の柴崎さんは、この街をどう見ているのだろうか。
子どものときからず っと桜新町だから、愛着はありますね。最近はファミリー層も増えてきましたけど、もともと桜新町は準工業地域(※)。いまも自動車部品や金属、ガラス加工などの工場があるんですよ。なのでお客さんも、学生やファミリーもいれば、作業服姿の方もいらっしゃいます。
横山

駅近は飲食店もそれなりに多いし、住みやすい町ですよね。最近、この辺りを散歩するようになったんですけど、個人商店が意外と多くて。きさらぎ亭もそうですけど、けっこう頑張っているお店が多いんだなって実感しました。
柴崎

※中小企業の振興や育成を目的に、軽工業の工場やサービス施設などが立地する地域



でも2代目3代目で辞めちゃった店も多くて……。昔を知っていると、やっぱり寂しいものがありますね。だから、自分たちは踏ん張るしかないです。ケビンにも頑張ってもらわないと。ね?
横山

――柴崎さんは、きさらぎ亭をどういうお店にしていきたいですか?
やっぱり、これまでのきさらぎ亭から変えたくはないです。このかたちを継続していくのが第一。そこからさらに、できることを見つけていけたら。「桜新町の定食屋といえばきさらぎ亭」であり続けたいですね。
柴崎

――“第2の実家”のようなものですしね。
本当にそうですね。怒るときはしっかり怒ってくれるし、褒めるときはちゃんと褒めてくれる。茜さんは、第2のお母さんといっても過言ではないです。
柴崎

そうなの? お姉さんだと思ってたんだけど(笑)
横山


きさらぎ亭は、開店当初から「変わらない味」を守り続ける一方、時代に合わせた変化も取り入れてきた。横山さんが2代目になったときに、エビクリームフライとコロッケ、ハンバーグが乗った「トリオ定食」や「もつ煮込みカレー」などメニューをいくつか増やしたという。
野菜嫌いで包丁も握ったことがなかった柴崎さんは、いまでは厨房に立ち、横山さんにとって「相談できる相棒」へと成長した。2人の軽妙な掛け合いからは、お互いへの信頼が感じられ、きさらぎ亭の灯がこの先も明るく灯ることを予感させてくれる。
皆さんも ぜひ、きさらぎ亭を訪れてほしい。ただし、その際はお腹を十分に空かせておくこと。さもなければこう言われるだろう——「大盛りなめるなよ」。

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