仙台人の舌もうならせる、分厚さの限界を攻めた牛たん。個人店ひしめく西小山で人気の酒場
- 取材・文:多田慎介
- 写真:北原千恵美
- 編集:藤﨑竜介(CINRA)
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東急目黒線の西小山駅を降りて、歩くこと約1分。にぎやかな商店街を進み、閑静な路地に入ったところに、牛たんと酒処 晩翠(ばんすい)はある。
カウンター5席にテーブル8席のこぢんまりとした店だが、ここで提供される料理や酒は常連客を引きつけてやまない。
宮城県仙台市出身の店主・菊池さん(*1)は、2021年にこの店を開業した。そのころから訪れている常連の千葉さん(*1)は、同じ仙台の出身。菊池さんとは旧知の仲であり、自身も飲食業界に身を置く食通だ。
「友人だからというだけで通っているわけではないですね。晩翠が好きなのは、進化し続けているから」と率直に語る。
味にもコストパフォーマンスにもこだわるという仙台人を納得させる晩翠は、どのような店なのか。食欲をそそる「厚切り上たん焼き」の香りがただよう店内で聞いた。
* 1 本人の希望により姓のみ記載
常連客と情報交換しつつ、こだわりの果実酒など独自のメニューを開発
——千葉さんは、どんなきっかけでこの店へ通うようになったのですか。
初めて訪れたのは、開業して間もない時期でした。僕と菊池くんはもともと、仙台にいたころから知り合いなんです。
千葉

当時勤務していた仙台のトルコ料理店で同僚だったんですよ。
菊池

そのあと、僕も菊池くんも東京に出てきて、菊池くんは都内の飲食店勤務を経て晩翠を開きました。ここへ足を運ぶのは、自然な流れでしたね。
千葉

——2人は長い付き合いなのですね。
はい。僕にとって菊池くんは仙台時代の上司であり、飲食業の師匠。ただ年齢でいうと僕のほうが上なので、弟のように見ている感覚もあります。まあ、良い酒飲み仲間ですね。
千葉

僕から見た千葉さんは、とにかくお酒が好きな勉強家。千葉さんも飲食業界に身を置いているので、互いにトレンドの情報を交換したりして切磋琢磨しています。
菊池


2人とも、飲食が仕事であり趣味でもあり……という感じだよね。2年くらい前には「これからは生姜がトレンドになりそうだよ!」なんて言いながら盛り上がっていました。
千葉

僕はその話を聞いて自家製のガリ(*2)をつくり始めたんですよ。で、そのあとは実際に生姜ブームが来た。こういう話ができる相手って、なかなかいないんですよね。
菊池

*2 新生姜を甘酢で漬けたもの
菊池くんから学ぶことは多いんですよ。たとえば、果実酒の力の入れ具合にはいつも感心させられています。
千葉

もともと果実酒が大好きなんです。果実をそのまま搾ったサワーもおいしいけど、刺激が強すぎて胃がもたれちゃうこともある。漬け込むことで、エキスと風味だけを抽出するオリジナルの果実酒を研究し始めて、それがいつの間にか看板メニューになりました。 砂糖を一切使っていなくて、素材の自然な味わいを楽しめるので、甘いお酒が苦手な人にも人気です。
菊池


——晩翠が2021年に開業して3年。千葉さんは、この間の変化をどのように感じていますか。
晩翠は日々進化していますね。来るたびに新しいメニューがあって、「また何かやり出したな!」って思っています。
千葉


一つのメニューを追求したり、同じ味を守り続けたりするのは偉大な才能だと思うんですが、僕は性に合わないんですよ。新しいメニューを考案して店で出すことがモチベーションになっています。
菊池

当初の看板メニューは、おでんだったよね。いまでもおでんは大人気だけど。
千葉

定番品のルーティンを続けていれば店は儲かるかもしれないけど、僕自身が飽きてしまうんです。いまは牛たんにこだわっていて、ここでしか味わえない魅力を伝えようと頑張っています。
菊池

「できるだけ分厚く、柔らかく」が晩翠の牛たん焼き
——千葉さんもお気に入りだという「厚切り上たん焼き」には、どんなこだわりがあるのでしょうか。
とにかく仕込みを重視しています。独自のつけダレを使って2日血抜きをして、さらに2日かけて味をつけ込みます。計4日を費やして仕込むことで、分厚い牛たんを柔らかくしているんです。
菊池


こうして前処理をした牛たんを焼き、自家製の辛味噌と青唐辛子、きゅうりの漬物を添えて提供しています。
菊池



仙台の牛たん屋さんでも、ここまで分厚い牛たん焼きは食べたことがないですね。それでこの柔らかさだから驚きますよ。血抜きをしっかり行なっているから、肉の臭みもありませんし。
千葉


牛たん焼きって、シンプルなようでいて本当に難しいんです。薄すぎるとただの焼肉みたいになってしまうし、厚すぎてもおいしくない。限界の分厚さでいかに柔らかくできるかを、これからも追求していきたいですね。
菊池

「安い・おいしい・メニューが豊富」を求める仙台人の厳しさ
店名の晩翠は、初見では読めない人も多いかもしれない。しかし、2人の地元では違う。名曲『荒城の月』を作詞した仙台出身の詩人、土井晩翠の名を冠した晩翠通(ばんすいどおり)が、仙台市内のメインストリートの一つとして知られているからだ。
菊池さんの実家も、晩翠通に近い場所 にあるという。地元との縁を大切にして名づけた店名を見て、ふらりと訪れる仙台出身の客も多い。千葉さんは「仙台人として誇れる店をつくってくれた」と評する。

——あらためて千葉さんに聞いてみたいのですが、晩翠の魅力はどこにあるのでしょうか。
菊池くんはお酒の知識が豊富だし、料理も仙台人が認める高いレベルのものを出していると思いますよ。そもそも東京で仙台と同じような味を出そうとすると、コストが段違いに高くなってしまいます。 それでも一定の提供価格に抑えているのも、菊池くんの努力の成果でしょう。
千葉

魚の値段などはわかりやすいですね。一般的な居酒屋で提供される刺身の盛り合わせなら、仙台では東京の倍くらいの量が出てきたりします。
菊池


だから、仙台人は飲食店に対する要求のレベルが高いよね。味にもこだわるし。
千葉

「安くてそれなりの味」ではなく、「安くておいしい」じゃないと仙台では通用しないんです。
菊池

——独特の厳しさがあるのですね。
提供するメニューのバリエーションも求められます。東京は専門店が強く、特定の料理に集中したメニューで成功していくイメージがありますが、仙台ではそれがなかなか通用しません。 牛たんがメインだけど刺身もおいしい、といった多様な強みがないとダメなんです。
千葉


仙台の牛たん屋さんにしても、牛たん一本でやっているところは少なくて、ジビエなどさまざまなメニューを展開していますね。
菊池

そういう意味では、晩翠は「安い・おいしい・メニューが豊富」を求める、うるさい仙台人も納得させられる店なんだと思います。だから僕もしょっちゅう来てしまうんでしょうね。友人だからといっても、理由がなければ通い続けませんから。
千葉

——千葉さん以外にも、仙台出身の常連さんは多いのですか。
はい。仙台をはじめとして、東北出身の常連さんは多いですね。カウンタ ー席が宮城の出身者で埋まることもあります。もちろん、ほかの地域から来た人も大歓迎ですよ。
菊池

そういえば、あの漫画家志望のお客さんも、仙台に縁のある人だよね。東北大学出身で、学生時代は仙台に住んでいたから。
千葉

——漫画家の卵なのですか。
はい。漫画一本で食べていくことを目指している人なんですが、この店で飲んでいるときに「この先も漫画の道でやっていくべきなのか……」と悩んでいたんです。 それで僕はほかのお客さんを巻き込んで、「こんな漫画を描いたらいいよ」「君なら大丈夫だよ!」とアドバイスしたりして。
千葉

悩んでいたり困っていたりするお客さんに対して、みんなでおせっかいを焼いてしまうんです(笑)。初めて1人で来たお客さんも溶け込みやすい空間になっていると思いますよ。
菊池

一緒にお酒を飲めば、もう仲間みたいな感覚になるよね。
千葉

「西小山に行けばおいしいものに出会える」と期待される街へ
——菊池さんが晩翠を開業したのは2021年。コロナ禍で、飲食店としては厳しい時期だったのでは。
別の飲食店に勤めていたころから独立を考えていて、ちょうどチャンスが巡ってきたのが2021年。開業場所にはあまりこだわらずに、物件を探していました。
菊池


そんなときに西小山でちょうどいい条件の物件が見つかり、周辺の商店街を歩いてみると、コロナ禍なのにほかの街よりも活気があるように感じました。街自体が適度にコンパクトだから、いい意味で人が密集しているんです。
菊池

難しいタイミングではあったけど、街の活気が開業の決意を後押ししてくれたんだね。
千葉

駅前には新しいマンションが建設されていて、これからさらに開発が進んでいく印象もありました。それに西小山は、飲食店にとっての良質な仕入れ先が集中しているんですよ。酒類の専門店や格安店、飲食店向けのスーパーも近くにあって、店をやるには本当に良い立地条件です。
菊池


——これからの西小山に、どんな変化を期待していますか。
長く西小山に住んでいる人からは、「昔は飲み屋街がにぎやかで朝までやっている店も多かった」と聞きます。当時と比べればいまは落ち着いた雰囲気になっていますが、店はどんどん増えていますし、昔のようなにぎやかさになったら面白いな、と思います。
菊池

晩翠の周辺を見ていると、フレンチやイタリアンなどのユニークな専門店が増えてきたと感じますよ。
千葉

チェーン店だけではなく、独 特の個性を持った個人店も勝負できる街なんでしょうね。地元の人以外にも「西小山に行けばおいしいものに出会える」と期待してもらえるような、新しいブランドを確立できる可能性があるんじゃないでしょうか。
菊池

個性的な専門店が増えればライバルも増える。晩翠はさらに進化していかないといけないね。
千葉

僕はむしろ、その刺激を求めているのかもしれません。周辺の店と一緒に西小山を盛り上げ、千葉さんのような、味にうるさいお客さんをうならせる料理を出し続けたいですね。
菊池


インタビューを終えてからも、2人の話題は尽きることがなかった。菊池さんはいま、「せり鍋 」にも力を入れているそうだ。宮城から取り寄せたせりと岩手の鴨を使用したこだわりの逸品。この料理に合う日本酒を考える千葉さんからは、さまざまな蔵元の名前が出ていた。
常連客とともに「新たなおいしさ」を探求し続けるプロフェッショナルの店。日々進化する晩翠のいまを味わってみてほしい。

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