縁線図鑑気づけばほら、つながりだらけ。

No.003

同郷人のご縁飯 〜宮崎〜

「この店があるから、学芸大学駅に引っ越した」 日向時間が流れる宮崎料理店

  • 取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
  • 写真:丹野雄二
  • 編集:藤﨑竜介(CINRA)

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高架下のリニューアルプロジェクトにより、周辺に新たな店が増えつつある、東急東横線の学芸大学駅。一方この辺りには、地域の住民に長く愛される店も多い。

駅の西口を出て、高架沿いを南へ歩いていくと、ほどなく「本場宮崎 チキン南蛮」ののぼりを掲げる小さな店が見えてくる。宮崎県出身の米澤慶太さんが営む、まっこち 鶏隆。2006年にある偶然がきっかけで宮崎料理店としてオープンして以来、変わらぬ美味しさを提供し続けている。いまでは、この店をよりどころにしているお客さんも多い。

12年にわたり通い続ける、宮崎出身の井阪絵莉奈さんもその一人。同郷の店主を「地元の先輩のよう」と慕い、悩みを相談することも多いのだとか。そして彼女にとっては、人生のターニングポイントといえる縁が生まれたのも、このまっこち 鶏隆。井阪さんがこの店で得た特別な縁とは何か、そして米澤さんが店を開くきっかけになったある偶然とは。2人に聞いた。

夫婦喧嘩の仲裁も。親しみやすく頼もしい「地元の先輩みたい」な店主

――井阪さんはいつから、まっこち 鶏隆に通っているのですか。

初めて来たのは12年前です。学芸大学に住んでいる友人に連れられて。それから、週に1回、2回と来るようになり、いつの間にか12年間通い続けています。この店があるから、学芸大学に引っ越しましたしね。

井阪

まっこち 鶏隆に12年ほど通う井阪絵莉奈さん

――よっぽど気に入ったんですね。

そうですね。私も店主のヨネさん(米澤さん)と同じ宮崎出身なので、やっぱり地元のおいしい料理やお酒、雰囲気を味わえるのはうれしいです。それと、ヨネさんはちょっとクセは強いんですけど(笑)、地元の先輩みたいな親しみやすさと頼もしさがあります。最初からフレンドリーに話しかけてくれて、すぐに距離が縮まりました。 あとは、この店で出会った人たちの存在が大きいですね。本当に面白い常連さんばかりで、なかには一緒に旅行するくらい仲良くなった人もいます。ちなみに、夫ともこのカウンターで出会いました。初めて来店したときにたまたま隣に座っていて。知らない人同士でも、ヨネさんを中心に会話が生まれて、いつの間にか盛り上がっていることが多いです。

井阪

誰に対してもそうするわけじゃなくて、お客さんの性格や雰囲気によってですけどね。この人たちは合うだろうな、仲良くなれるだろうなって感じると、ついつなげたくなっちゃう。あとは勝手に仲良くなって、楽しく飲んでもらえたらこっちもうれしいですし。ここで出会ったお客さん同士がいろんな店に飲みに行ったりしている話を聞くのも、楽しいんですよ。

米澤

2006年にまっこち 鶏隆を開業した店主の米澤慶太さん

――井阪さんは米澤さんのことを「地元の先輩みたい」と表現しましたが、悩みを相談したりすることもあるんですか。

それはもう、しょっちゅうですね。何かあるたびに「聞いてよ〜」って。それこそ夫婦喧嘩したときとかね。

井阪

ここの夫婦は喧嘩するたびに、うちに来るんですよ。それも別々に来て、それぞれの言い分をぶつけてくる。なんで俺が仲裁しなきゃいけないんだよと思いつつ、最終的にはなんだかんだ丸くおさまってるよね(笑)。

米澤

ヨネさんはもともと夫との付き合いのほうが長くて、どちらのこともよく知っているので相談しやすくて。ヨネさんが話を聞いてくれることで後に引きずらないし、本当にありがたい存在です。

井阪

たまたま隣に座っていた同郷人の影響で、宮崎料理店を開業

店主や常連客との触れ合いだけでなく、チキン南蛮や冷や汁など、地元・宮崎の味を追求した郷土料理もまっこち 鶏隆の魅力だ。しかし、米澤さんはもともと宮崎料理の店をやるつもりはなく、若いころはイタリア料理店などで修行を重ねていたという。

終的に地元の味で勝負すると決めた背景には、さまざまな偶然と縁があったようだ。

――開業の経緯を聞かせてください。もともと宮崎料理の店をやろうと思っていたのですか。

いや、飲食店をやりたいとは思っていましたが、とくにジャンルは決めていなかったんです。神奈川の大学を卒業したあとに学芸大学へ越してきて、飲食店のアルバイトをいくつも掛け持ちしながらお金を貯め、30歳くらいで独立しようと思っていました。 26歳のときに、宮崎出身の友人と入った居酒屋で「どんな店をやりたいか」みたいな話をしていたら、隣の席にいた年上の女性が話しかけてきて、「あなた料理人なの? 私のお店手伝ってよ」といきなり言われたんですよ。その人は宮崎料理店のオーナーで、僕らが宮崎弁で飲食のことを話しているのが聞こえてきて興味を持ったみたいですね。 それで、いつのまにか週5〜6回くらいその店で働くようになって、あらためて宮崎料理の良さに気づいたというか。宮崎は食材が豊富ですし、子どものころから食べ慣れたものばかりで、何が美味しいかもわかっている。これなら自分より早くから料理修行をしている人にも対抗できるかもしれないっていう気持ちもあって、宮崎料理店に決めました。

米澤

たまたま隣に座っていた人が同郷で、しかも宮崎料理店のオーナーだったって、すごい偶然だよね。

井阪

それも縁だよね。もともとバイトをしていた店はイタリアンとかカフェとかだったから、本当に宮崎料理は頭になかったんですよ。最初はそのオーナーに強引に引き込まれたかたちだけど、結果的にはそれで自分の店の方向性が決まって、それがいまや20年続いているんだから、出会いに感謝ですね。

米澤

普通のチキン南蛮と、まっこち 鶏隆で食べられるものは別物

2006年の開業以来、常連客に愛され続ける看板メニューが「チキン南蛮」。いまでは全国区で人気のメニューだが、本場の味に親しんできた2人は、県外のチキン南蛮に対して思うところがあるもよう。そんな地元の味へのこだわりと、まっこち 隆隆のチキン南蛮の特徴を聞いた。

――あらためて、2人が思う「宮崎の良さ」って何ですか。

まずは、食材の豊富さ。あとは、県民性かな。基本的に「なんとかなるさ」っていう楽天的な考え方が浸透していて、おっとりした人が多い。僕はわりとせっかちなタイプなんですけど、地元に帰るとみんなのんびりしているなって感じます。自然が豊かで、気候が穏やかなせいかもしれない。

米澤

ゆるい人が多いですよね。「日向(ひゅうが)時間」という言葉があって、沖縄ほどじゃないけど時間感覚がゆったりしているんです。6時集合の約束だったら、6時半とか7時に集まればいいやろっていう。それくらいだったら誰も気にしない。それが良さかどうかは分からないですけどね(笑)。 あとは、やっぱり「食」ですね。安くて美味しいものがいっぱいある。魚は高級店じゃなくても十分美味しいですし。チキン南蛮もいまは東京にも食べられる店がたくさんありますけど、地元やまっこち 隆隆で食べられるものは、まったく違うんです。

井阪

――やっぱり違いますか。

ええ。別物だと思いますよ。

井阪

僕たちが地元で食べてきたのは、衣がしっとりしていて、口のなかで衣と肉の味がジュワッと広がるチキン南蛮なんです。

米澤

米澤さんや井阪さんが地元で親しんできた味だという、まっこち 鶏隆のチキン南蛮

でも、衣がカリカリした唐揚げにタルタルソースをかけたものをチキン南蛮と呼んでいる店も結構あって……。 そもそもつくり方が違って、宮崎のチキン南蛮は卵を衣にして揚げるんですよ。それから甘酢タレとタルタルソースで食べるんですけど、このバランスが難しい。酸味と甘みのちょうどいいマリアージュが、おいしいチキン南蛮のポイントですね。

米澤

――まっこち 鶏隆でも地元のつくり方を踏襲しているんですよね。井阪さんは、この店のチキン南蛮のどんなところが好きですか。

ヨネさんが言うように、甘みと酸味のバランスが絶妙です。肉の赤身と脂身の量も程よくて、ご飯が進む。地元の味を東京で提供してくれるのは、本当にありがたいですね。

井阪

新しいものと昔ながらの良さが共存する、学芸大学

米澤さんは25年、井阪さんは12年と、長く学芸大学に住み続けている。2人にとっては、地元の宮崎と並ぶくらい大切な存在。井阪さんは「もうここを離れられない」と、学芸大学への強い愛着を語る。そこまでこの街に惹かれる理由は何なのだろうか。

――学芸大学のことについても聞きたいのですが、米澤さんも井阪さんも、この街に住み始めてからだいぶ経ちますよね。長く住み続けている理由を教えてください。

どこへ行くにも便利というのも魅力なんですけど、最近は飲食店もすごく増えましたよね。おしゃれな店もたくさんあるし、昼も夜も楽しめます。だから引っ越す理由がないというか、いったん根づいてしまったら動けない街だと思います。 それから、私にとってはやっぱり「まっこち 鶏隆」の存在が大きいです。この店を通じて出会った人たちと疎遠になるのは嫌だし、ヨネさんや常連さんから新しいお店や美味しいお店の情報を聞けなくなるのも困りますし(笑)。だから、余計にこの街から離れ難いですね。

井阪

僕は学芸大学に住んで25年になるんですけど、もう宮崎よりも長いんですよ。それだけ良い街だってことなんだと思うんですけど、あらためて考えてみると、飲食店がめちゃくちゃ充実してますよね。ちょっとしたビストロも焼き鳥が美味しい飲み屋も、カレーもラーメンも、色んなジャンルの名店がある。その多くが、個性あふれる個人店ですしね。 お酒と食べることが趣味の自分としては、最高の街です。そのぶん競争が激しくて、店をやっていくのは大変なんですけど(笑)。

米澤

あとは、これはもしかしたら宮崎に通じるかもしれませんが、おっとりしている人が多いような気がします。お客さんや街の人たちを見ていても、みんな心に余裕がある印象です。

米澤

――この街が、今後どのように発展していってほしいと思っていますか。

最近は高架下が新しく整備されて、おしゃれな店が増えたりもしていますよね。学芸大学の良さってそういう新しいものと、商店街にある昔ながらの個人店が共存しているところだと思います。全部が刷新されて洗練されすぎると、かえって住みづらくなっちゃうと思うんですよ。 その絶妙な心地良さみたいなものは、失われずにいてほしいですね。

米澤

同感です。街が新しくなること自体は、いいことですよね。新しい施設や店ができることで、また違う人の流れができますし。その新しい動きと地域に根づいたものが混ざりあって、ここにしかない魅力が出てくるのではないでしょうか。

井阪

日向時間。宮崎出身でないと聞き慣れない言葉ながら、宮崎市の公式SNSアカウントが言及する(※)など、現地では定着しているもよう。自虐的な投稿内容は、なんとも微笑ましい。

※宮崎市広報のXアカウントが投稿

して時間に限らず、細部にこだわりすぎないおおらかさが、宮崎の魅力。まっこち 鶏隆でゆるやかなつながりが生まれ続けているのも、米澤さんがそんな度量の広さを発揮しているからではないだろうか。

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