北海道人も驚く「本物のザンギ」を武蔵小山でふるまう。 釧路食堂はなぜ地元民から愛される?
- 取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
- 写真:北原千恵美
- 編集:藤﨑竜介(CINRA)
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東急目黒線武蔵小山駅の東口にあり、東京で最も長いアーケード商店街として知られる、武蔵小山商店街パルム。その商店街を同駅から西小山方面に進み、アーケードが途切れるあたりで「若鶏 ザンギの店」という看板が目に入ってくる。店の名は、釧路食堂。店主の山本ごんたさんは、釧路でザンギを生み出した知る人ぞ知る老舗店で修行し、門外不出といわれるその味を受け継いでいる。
そんな「本物のザンギ」を目当てに、多くのファンがこの店を訪れるという。5年前から通う札幌出身の羽毛田穣治さんも、そんな常連客の一人。「ザンギやジンギスカンなどの料理はもちろん、北海道なまりのヤマさん(山本さん)との会話が、故郷での日常を思い出させてくれます」と語るように、彼にとってかけがえのない場所になっているようだ。
カウンターで出会った常連客とも仲良くなるなど、この店を通じてさまざまな縁が生まれたという羽毛田さん。名物のザンギをつまみながら、店主の山本さんとともに、釧路食堂にまつわる思い出を振り返ってもらった。
「本物のザンギ」は、釧路食堂か釧路の「鳥松」でしか食べられない
――店主の山本さんは、常連の羽毛田さんが初めて釧路食堂に来たときのことを覚えていますか。
ああ、覚えてますよ。あの日は暇でね、もう店を閉めちゃおうかなと思っていたら穣治(羽毛田さん)が入ってきた。ザンギとジンギスカンを両方頼むもんだから、正直めんどくせえなって(笑)。
山本


あとからチクっと言われましたもん。「もう閉めようと思ってたのに、重いもん頼むなよ」って(笑)。でも、最初からいきなりヤマさん(山本さん)と仲良くなって、それから5年くらい週1〜2回のペースで通っています。
羽毛田


――そもそも、何に惹かれて店に入ろうと思ったのですか。
やっぱり「ザンギ」の看板ですね。僕は札幌出身なので、道産子としては気になって、一人でふらっと入ってみました。そこでザンギの味に感動したんです。北海道では小学校の給食にも出るくらい身近なメニューですが、それまでは正直、ザンギと普通の唐揚げの違いもよく分かっていませんでした。 ここで初めて「本物のザンギ」を食べて、こんなにも違うのかと。まず、衣の味が全く別物だし、下味の風味もしっかり残っている。それに、タレも美味しくて。
羽毛田



ザンギはそもそも釧路の「鳥松」という店が発祥で、普通の唐揚げとはつくり方が全然違うんですよ。下味に使う香辛料からして違うし、オリジナルのタレにつけて食べるっていうのも鳥松のザンギならでは。それから一番の特徴は、揚げ油です。60年以上にわたって豚のラードを継ぎ足し続けた油を使わないと、本物のザンギの味は出ない。
山本


釧路食堂のザンギは、鳥松さん直伝なんですよね。
羽毛田

そう。ここを開く前に修行させてもらって、秘伝のレシピを教わった。独立するときには、ベースになる継ぎ足し油も譲ってもらったんだよ。だから、本物のザンギっていうのは、発祥である鳥松とうちでしか食べられないはずなんだけどね。
山本

――鳥松さんの秘伝の味を、なぜ伝授してもらえたのでしょうか。
鳥松は俺の実家のすぐ近くにあって、子どものころからよく遊びに行っていたんですよ。当時はおふくろも厨房で手伝っていたし、いまは姉が働いている。もともと、そんな家族みたいな付き合いなんです。大将からは「お前を養子にほしい」と言われるくらい、可愛がってもらいましたよ。
山本

話好きの店主と、客同士の距離が近い空間が縁を生み出す
開店からほどなく、L字のカウンターは常連客でいっぱいに。山本さんはザンギを揚げる手を止めることなく、お客たちと軽口を交わす。飾らない店主のキャラクターや常連客たちと一緒につくる空気も、釧路食堂の魅力だ。一見客や新参者がポツンと取り残されることもなく、むしろ山本さんがぐいぐいと懐に入り、ほかの常連客との仲を取り持っていく。この店ではそうやって、多くの縁が生まれてきた。

――この店に来るといろいろなつながりができそうですよね。一階はカウンターだけで、お客さん同士の距離も近いですし。

そうですね。僕は一人で来ることも多いんですけど、たまたま居合わせたお客さんと仲良くなって一緒に料理をつまんだりもします。 ヤマさんが「この近くに良い店があるから、このあとみんなで行こうよ」と誘ってくれたことで親しくなった人もいるし、そのおかげで武蔵小山に行きつけの店も増えました。本当にこの店やヤマさんのおかげで、いろいろな縁が生まれていると思います。
羽毛田

――山本さんの、初対面の壁を壊してくれるような接し方も、すぐに打ち解けられる理由かもしれませんね。
ぐいぐい来ますよね(笑)。僕にとっては、それが心地いい。ヤマさんはすごく人が好きで、話も上手だからいつも楽しい気分にさせてくれる。僕だ けでなく、誰に対してもフレンドリーな姿しか見たことがありません。お酒と料理だけじゃなく、ヤマさんと話をするのが目的という人も多いと思いますよ。 僕自身も、いつまでたっても北海道のなまりが抜けないヤマさんの声を聞くと安心するし、つい会いに来てしまうんです。
羽毛田


釧路食堂は、武蔵小山にいながら北海道に帰った気にさせてくれる
ともに北海道にルーツを持つ山本さんと羽毛田さん。東京暮らしが長くなっても、ふるさとへの愛着が消えることはない。たとえば、釧路食堂では開業から20年以上、北海道の食材を使い続けている。羽毛田さんにとっても、いつでも北海道を感じられる場所があることは、大きな心の支えになっているようだ。
――山本さんは釧路、羽毛田さんは札幌出身。東京暮らしが長くなっても、やはりふるさとに対しては特別な思いがありますか。
そうですね。帰省の際、新千歳空港から一歩外に出ると、やっぱり空気が澄んでいて気持ちいいなと感じま す。それと、東京に来てからはたまにしか見られなくなった雪景色にも、懐かしさを覚えますね。
羽毛田

俺もね、もちろん子どものころから過ごした場所だから、釧路や北海道に対して特別な感情はありますよ。食材もずっと北海道のものを使っているしね。魚も、東京では買わずに釧路から送ってもらう。もともと実家が昆布の漁師だったから、ルートがあるんですよ。結局、直で手に入れるものが一番新鮮だし、安いから。 羽毛田:あとはジンギスカンも、北海道の家庭で出てくるようなスタイルなんですよ。道外の人からするとジンギスカンって焼肉みたいに自分で焼くイメージだと思いますが、北海道の家庭では焼いたラムや野菜を大皿でドーンと出すのが一般的。この店でもお願いすればそのスタイルで出してくれるので、実家に帰ってきたような気持ちになれます。
山本


――ちなみに、2人が上京して武蔵小山に住むようになったきっかけは何だったんですか。
僕は大学進学を機に上京して、武蔵小山に来る前は同じ目黒線の奥沢駅の近くに住みました。5年前に勤務先の異動があったタイミングで、もともと興味を持っていた武蔵小山に引っ越しました。
羽毛田

俺も上京は大学進学がきっかけですね。最初は目黒線の不動前に住んでいたんだけど、武蔵小山でもよく遊んでいたんですよ。そのあと、サラリーマンをやってから鳥松で修行して、自分で店をやることになったときに、場所をどこにしようか悩んでね。 そのときに思い浮かんだのが武蔵小山。商店街の賑やかさも含めて好きな街だし、ここでやってみようかなと思いました。
山本

10年東急線沿線に住んでいるのは、いろいろな顔を持つ街があるから
山本さん、羽毛田さんともに、東京で最初に暮らしたのが東急線沿線。そして、そのまま住み続けている。離 れない理由は何なのか。武蔵小山の魅力とともに、東急線沿線エリアに対する思いも聞いた。
――あらためて、武蔵小山のどんなところに魅力を感じますか。
商店街にはチェーン店もありつつ、じつは結構こだわっている居酒屋があるんですよ。だから、毎晩飲み歩いても飽きない。あとは何といっても、交通の便でしょう。東京都心にも横浜にも出やすいし、羽田空港行きのバスも出ているしね。 これでリニア(リニア中央新幹線)まで開通したらさ、品川経由で大阪まで1時間半くらいで行けるわけでしょ。そうなったらもう完璧ですよね。もう、武蔵小山と全国がつながる。出張の多いサラリーマンが、みんな武蔵小山に引っ越してくるんじゃないですかね(笑)。
山本


ヤマさんが言うように、交通の便は抜群ですね。出張で飛行機も新幹線もよく使う僕にとっては、本当にありがたい環境です。北海道にも帰りやすいですから。 よく山梨出身の人などは(甲府につながる)中央線の沿線に住みがちって言うじゃないですか。それと同じ感覚でこの辺りに住んでいる北海道出身者も、結構多いかもしれませんね。空港に近いから、なんとなく北海道とつながっているような感覚があるんですよ。
羽毛田

――ちなみに同じ東急線沿線で暮らしてみたい街はありますか。
三軒茶屋には興味があります。お笑い芸人のYouTubeが好きでよく見ているんですけど、三軒茶屋に住んでいた芸人さんって結構多いですよね。エピソードを聞いても、すごくいい街だと感じるし、飲み屋も多いし、いつかは住んでみたいですね。 振り返れば上京してから10年間、ずっと東急線沿線で暮らしてきました。あらためてその理由を考えてみたんですけど、少なくとも僕個人は、沿線のなかだけで生活に満足できているからなんですよね。 渋谷だったり三軒茶屋だったり、武蔵小山だったり、沿線にいろいろな顔を持つ街があって、少し移動するだけでまったく違う景色を見ることができる。そんなエリアって、ありそうでなかなかないと思っています。
羽毛田


「食べられるのはウチと釧路の鳥松だけ」と山本さんが豪語する、元祖・ザンギ。じつは、かつて世界的なファストフードチェーンが鳥松に、「レシピを学びたい」と申し出てきたことがあるのだとか。ただ当時、鳥松が出した答えはノー。巨大オファーを蹴ってまで味を守り、信頼した山本さんにだけ、レシピを伝授したのだという。
そんな特別な味を、東京で体験できる釧路食堂。武蔵小山に行くなら、立ち寄らないのは損なのでは!?

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